
「子供たちを私のところにこさせなさい。とめてはいけない。神の国はこの子らのような人々のものである」(ルカ18の16)
これは、キリストが自分の弟子をたしなめたときのことばである。子供を連れてイエスに会いに来た母親たちに、キリストは忙しいから会えない、と弟子が言ったからである。
これを見たイエスは子供をそばに引き寄せて言った。「子供たちを私のところにこさせなさい。とめてはいけない。神の国はこの子らのような人々のものである」キリストはさらにことばを継いだ。「まことに私はいう。子供のように神の国を受けないと、そこにはいられない」(ルカ18の16~17)
キリストの誕生を祝うクリスマスの時期になると、このことばが自然に思い出される。クリスマスの祝日には、キリスト教徒は、幼子の姿のイエスをあがめ、いくらかでも、子供のような純真な気持ちを持とうと努める。
子供は時々、手におえないこともある。それでも、子供はかわいい。彼らは罪を知らず、けがれもない。子供は本能的に正直である。そのしぐさは疑いや敵意を持つ余地がないほど自然である。彼らは謙遜で純粋であり、その心は、彼らの肌と同様に柔軟でやさしい。
しかし、成長するにつれて子供らしい魅力となっていた、いろんな特質を失っていく。
キリストは謙遜になることや子供のような特質をとりもどすことがいかにたいせつかを、私たちに思い起こさせるのである。クリスマスには、私たちは、イエスを子供として見る。キリストのやさしさと愛が、人の心を和らげることを願うと同時に、私たちの内部に子供のような性質をもう一度見いだすことができればと思う。