この言葉は、いつも、ほかの患者を考えこませた。この人に何の望みがあるのだろう?退院のできる見込みはまずない。もう夢も持てないはずなのに...?
それでも彼女は希望を持っていた。希望の中に喜びもあった。家族に希望を託していたのである。息子や娘や孫たちが見舞いに来ると、みんなのしていることを尋ねた。みんなの成功と幸福を望んでいるのがよくわかった。
彼女には信仰があったので、自分のことにも希望を持っていた。この世での命が終りに近いことを知り、それを気がるに話した。その言葉に悲しさのかげはなかった。むしろ希望を持っていたのである。
彼女にとって夕陽が美しく見えたのには、特別な理由があった。彼女は、自分の人生が日没に近づいていて、それを美しいものとして見ていたのである。日没がすぎれば、やがて朝日が昇る。つまり新しい命の始まり、活気と楽しさのある青春にかえるのだと思っていた。そこに彼女の希望があったのである。
彼女が亡くなつた時、みんなとても寂しく思った。しかし彼女の想い出に慰められた。殊に、夕方陽が沈んでから、彼女の静かな声が聞こえるような気がした。「夕焼けは希望を意味するのよ」