
Kさんは、新しい事務所へ移ったばかりである。何もかもぴかぴかと新しい。机も椅子も本棚も、そしてテレビもである。しかしま新しい机の上に、ひどく古い鋏(はさみ)が置いてある。
「どうして鋏も新しくしないんですか?」と私は聞いた。彼はその鋏の歴史を語った。鋏は、彼と同じくジャーナリストだった父のものだというのである。
「おやじは長年この鋏を使っていましたが、まだよく切れます。ほかの人には値うちのないものでしょうが、私には大事なものなのです。それに、私の仕事はおやじから受けついだのだということを、思い出させてくれますし............」。
たいていの人が、だれかの思い出があるから特に大事だという物を持っている。たとえば、写真、手紙、衣類、万年筆、時計、宝石などである。それらは、品物自身としての値うちがあってもなくても、持ち主にとっては、特別な愛情を感じた人の思い出のために、特に大事なものなのである。
それらは、人間の幸福のために大きな役割りを果たす。人生に暖かさをもたらすのである。だれかの思い出を大切にするのは、自分の心に愛がある証拠にほかならない。そして、自分についての思い出を、だれかが大切にしていることを知れば、愛されていると思える。
私が最も大切にしている物の一つは、四つ葉のクローバーである。これは、あるラジオ聴取者から、祈りと激励の意味を込めて送られて来た。私は送り主を知らないが、クローバーはすべての聴取者のことを考えさせてくれる。私はこれを聖書にはさんでいる。そこには、次のようなキリストの言葉がある。
「私はあなたがたを友と呼ぶ」(ヨハネ15の15)