2021年01月10日の教会の祝祭日

主の洗礼

典礼暦・降誕節の最後は、今日の"主の洗礼"の祭日です。そして「主の洗礼」後の典礼は、通常の年間典礼に戻ります。さて「主の洗礼」は、イエスが神の子であることを顕現した出来事であると同時に、いよいよイエス様が神の国を宣べ伝える(公生活の始まり)出立にあたっての出来事を祝う日でもあるのです。したがって、洗礼はイエス・キリストの福音宣教の原点だとも言っています。しかし、神の子であるイエスが何故、洗礼を受ける必要があったのでしょうか。またイエスの洗礼には、どんな意味があるのでしょうか。さらに私たちの洗礼との関係は、何なのでしょうか。そのことがイエスの洗礼についての聖書箇所から明かされます。この出来事は四つの福音書(マタイ3:13-17、マルコ1:9-11、ルカ3:21-22、ヨハネ3:22-36)に記されていることから、その重要さに気づかされます。その箇所の内容は、次の三点からなっています。

  1. イエスは洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けたこと。
  2. 洗礼を受けた時、神の霊がイエスの上に降ったこと。
  3. 天から声が聞こえたこと。

これらの出来事によって、イエスの洗礼によって「洗礼」が非常に重要であり、その意味を深められていることです。つまり、洗礼者ヨハネの時まで「洗礼」は、罪の悔い改めのしるしとして行われました。しかし、イエスの洗礼によって、単なる悔い改めではなく、そこに神が介入されることになったのです。神がご自分の霊を注ぎ、ご自分の子であると宣言するのです。それ以降、イエスの名によって洗礼を授ける時、必ず、神の働きがあるということなのです。そのことをヨハネは、「私は水で洗礼を授けるが、その方は聖霊で洗礼を授けられる」というのです。したがって、キリスト者となる人に授けられる洗礼は、どれほど素晴らしいものであるかを知る必要があるのです。洗礼の際には、必ず「父と子と聖霊の御名によって、あなたに洗礼を授けます」と言って額に水を注ぎます。キリスト教の洗礼は、単なる水の洗礼で浄化することだけではありません。キリストの名による洗礼によって、受洗した人は御父の霊を受けるのです。その霊は受洗した人の中に留まり続け、霊を宿す住まいとされるのです。つまり、受洗した人もイエスと同じように「神の子」とされるのです。それは神から愛され、神の心に適う子として戴いたからです。神は、今もそのことを宣言し続けているのです。私たち人間は、弱く罪深い者でありながらも、聖霊によって神と一つに結ばれ、神の子に与えられるあらゆる恵みを受け継ぐ者とされたのです。神、御子、そして聖霊の交わりの中で、この至福の喜びを味わうとともに、いつも神の呼びかけに応えることが、神の望みです。キリスト者にとって、この日は特別な祝日であると同時に、自身の洗礼を見つめ直す時でもあるでしょう。