2021年02月22日の教会の祝日

聖ペトロの使徒座

「あなたはペトロ。わたしはこの岩(ペトロ)の上にわたしの教会を建てる」(マタイ16・18)と天の父の啓示による告白「あなたはメシア、生ける神の子です」と言われたペトロの上に、イエスが教会を建て、その中でペトロは大きな権限が与えられた。それはペトロに教会の礎としての使命が委ねられたのである。そこからペトロは、教会の最初の司教としてアンチオキアに使徒座を置いた。その後ローマへ宣教に行き、バチカンに使徒座の基礎を築いた。4世紀に聖アンブロジオは「ペトロがいるところに教会がある。教会があるところに、キリストがいる」と告げ、この日の大切な意味を解明した。つまり聖ペトロは、イエス・キリストから直接、最高の使命を授かったのである。

ちなみにギリシャ語で「座」あるいは「司教の王座」のことを"カテドラ"という。そこからカトリック教会では、使徒座、司教座聖堂のことを"カテドラル"と呼んでいる。カトリック教会では、現在に至るまでローマ教皇が聖ペトロの後継者であり、聖ペトロの後継者として全世界のカトリック信者のために、教える使命を受け継がれ、今日まで継承されている代々の教皇である。そして現在、266代教皇フランシスコまで"その同じ使命"は、受け継がれている。

今日この日、全世界のカトリック信者は、ローマの聖ペトロ使徒座と一つになって2000年継承されてきた「使徒信条」を唱え、お祝いする日なのです。


2021年02月05日の教会の祝日

日本26聖人殉教者

「道と海との間に挟まれていて、刑場から百メートルぐらい離れたところで、町からも港からもよく見えた」と。その場所は現在、長崎市駅近くの西坂公園である。この西坂で26人は、十字架刑に処せられ日本で最初の殉教者となった。1596年、土佐沖(四国)の海岸でフィリピン・マニラとメキシコ・アカプルコ便のガレオン船サン・フェリペ号(スペイン船籍)がアカプルコに向かう途中、台風のため座礁した。沢山の積み荷をしていたその船の乗組員は、全員無事であったが太閤豊臣秀吉が、家臣に命じた積載荷物を没収する「サン・フェリペ号事件」が勃発した。この秀吉の行為は、それまで順調に外国と取引してきた貿易に大きな打撃を与えることとなった。そこに(恐らく家臣たちから)持ちあげた話が「ヨーロッパ人は宣教師の活動を利用して他国を征服する」と言う情報だった。この情報が太閤秀吉に伝えられ、先ず、京都の教会にいたフランシスコ会士ペドロ・バプチスタとその信者らが軟禁、続いて大坂周辺にいたイエズス会士のイルマン・パウロ三木や同宿ヨハネ五島とディエゴ熹齋たち、その他次々に信者たちが捕えられ、総勢24名となった。捕らえられた中には、幼い子供3名(ルドビコ、アントニオ、トマス)も含まれていた。1596年12月31日太閤秀吉は、捕われ人全員の死刑を宣告した。明けて1月3日、彼らは、京都から西坂までの途中、伏見、堺、大坂を引き回されたのち、10日長崎に向かって6名の宣教師、他18名は、固く縄で縛られ「見せしめ」として歩かされた。長崎までの途中、京都から殉教者たちの世話をしながらついてきた二人の信者フランシスコ・ガヨとペドロ助四郎も捕えられ、殉教者の数に加えた。1597年2月5日、長崎の西坂に26本の十字架が立てられ、磔になった彼らは、最期まで共に祈り、聖歌を歌いながら殉教を遂げた。その日の夕刻、マルチンス司教(MEP)は、西坂に行き、殉教者たちの前で祈りを捧げた。長崎の信者たちも夜の闇の中で祈った。このとき始められた巡礼は、425年経った今も続けられている。26人の殉教者は、司祭、修道士、信徒で日本人20名、スペイン人5名、ポルトガル人1名である。1627年教皇ウルバノ8世に列福、1862年教皇ピオ9世によって列聖された。こうして西坂は、殉教者の丘とも呼ばれ、1982年来崎したヨハネ・パウロII世は、ここを「至福の丘」と名付けた。2019年現フランシスコ教皇も26聖人記念碑の前で降りしきる冷雨の中で祈りを捧げた姿は、日本国民の記憶に新しい。現在も2月の第一日曜日には、西坂の至福の丘に日本全国から熱心な信徒が集い、26聖人殉教者に想いを寄せて荘厳なミサを捧げている。また2月5日当日には、西坂公園の傍にあるイエズス会修道院の聖フィリポ記念聖堂で連続ミサとゆるしの秘跡が行われる。この殉教の地は、特に長崎の信者の方々にとって先祖から継承された、彼ら自身の信仰の根源とも言える場所である。ここ数年ミサ中、厳しい風雪風雨に見舞われたが、退席する方はいなかった。むしろ最後まで祈り続ける信者の姿に、厳冬の中で燃え上がる「イエスのみ心」を感じさせられた。今年も殉教者ミサが熱き信仰と共に、切なる願い(コロナ完全終息)を込めて祈られるでしょう。この地は日本最初のキリシタン巡礼地であり、その西坂にある長崎26聖人記念館には、殉教者たちの数々の遺品が展示保管されている。これを機に是非、訪問されると良いでしょう。


2021年02月02日の教会の祝日

主の奉献

「神に献げられた聖なる者」の日、それはまた異邦人の心を開く光、万民の救いとしての神の子であることをお祝いする日である。ユダヤ教の律法によると生まれた子供は、必ず、生後40日目に神様に献げるために神殿を訪問することでした。神に主が献げられたことを記念してエルサレム教会では5世紀から、またローマの教会では7世紀からこの日を祝っていたと記録されている。ところが東方教会(コンスタンチノープル)と西方教会(ローマ)が別れて(11世紀)以降、西方教会ではこの日を「マリアの清めの祝日」と改めた。しかし、1960年になって当時西ドイツから典礼の刷新が起こり、東方教会でずっと行われていた奉献記念日を「マリアの清めの祝日」から元の「主の奉献の祝日」に変更した。「両親は、幼子のために律法の規定通りに」(ルカ2:27)と記述されているように、イエスの両親がどれほど律法に忠実であったかを知らされる。また同時に聖書は「幼子イエスが主の聖なる者である」ことを含蓄させている。両親は「すべての初子を聖別してわたしに献げよ (出13:2)」、このモーセの律法に従いイエスの誕生後40日目に、幼子を神に献げるためユダヤ教の律法に従い、エルサレムの神殿に上ったのである。しかし、それには次の出来事が含まれていた。①神と人との新しい契約のために遣わされた救い主イエスが聖所に入り、父なる神に完全に献げられたこと。②家族は神殿でシメオンからイエスが民の救い主であり、将来どのような運命を辿るかを預言されたこと(ルカ2:22-35)である。なぜイエスは神殿で主に捧げられたのか、その理由(神のみ旨)を思い起こしながら、今日の主の奉献を祝いましょう。