今週の聖書の言葉

10月9日 年間第28主日 ルカ17:11-19

 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 今日の福音で不思議に思ったのは、なぜイエスの一行が、サマリアとガリラヤの間を通られたのかということです。他に道がなかったから、たまたまその境界線がエルサレムに続く道だったから、あるいは近道だったから、といろいろな説が出てくると思います。そこで留意したいのは、イエスが人々に何を伝えたかったのか、聖書は何を伝えようとしているのか、俯瞰的に観ること。またルカ福音史家は、自身世話をしていた当時の人々に何を伝えたかったのか、その様な事を考慮しながら各々の箇所からのメッセージを読み解いていく事も面白い方法だと思います。そこで先ず「なぜサマリアとガリラヤの間」だったのか。

 サマリアは異邦人の住む地域でガリラヤはユダヤ人の居住区です。その間のある村に入ると重い皮膚病の方が出迎えた。しかも遠くからとあります。そこから察すると思い皮膚病を患っていた方たちが住んでいた場所は、異邦人とユダヤ人が共住していた特別な場所であったという事です。つまり彼らは、ユダヤ人であっても異邦人であっても重い皮膚病者として特別扱いされていたという事です。そのように置かれた彼らは、必死になって遠くから大声を張り上げ、イエスに懇願します「憐れんでください」と。それに気づいたイエスも大声で彼らに「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。その言葉を信じて行動した彼らは、祭司たちのところへ行く途中で清くされたのです。
 その後、彼らが祭司たちのところへ行ったか、行かなかったかは、問題ではありません。ただその後の彼らの態度を問題にしています。それは重い皮膚病を患っていた10人の清くなった後の姿勢でした。癒されたことを知ったひとりのサマリア人は、「大声で神を賛美しながら戻ってきた。そして、イエスの足元にひれ伏して感謝しました」。
しかし、同じように清くされた他の9人は、どうしたのでしょうか。イエスはハッキリと「外国人のほかに、神を賛美するために戻って来たものはいないのか」と言っています。それは、"清くされたユダヤ人の9人はどうしたのか"と問うているのです。
つまりイエスは、信仰の持つ奇跡的な力を伝えましたが、奇跡が本当の信仰のしるしであるとは伝えていません。またユダヤ人だから、神に選ばれた民だから自分たちは、神にお願いすれば奇跡で癒されるのは当然であると思い上がった態度も認めません。信仰とは、神の愛に気づく時、そこに大きな力が働くことを教えているのです。残念ながら、ユダヤ人達には、それが理解できませんでした。勿論、彼らも癒されたことに感謝したでしょう。

 イエスの望まれた「信仰」とは、神の前で何も隠すことなく"ありのままの自分"を表明する時、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と、この言葉を戴くのです。あなたはイエスの言う"後の者が先になり、先の者が後になる"。この言葉の意味を覚えていますか。

参考:(第一朗読:列王記下5・14ー7)・(第二朗読:ニテモテ2・8ー13)