今週の聖書の言葉

7月5日 年間第14主日 マタイ11・25-30

 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 今日の福音箇所の前の部分(マタイ11・7-24)には、御父がヨハネを通じて呼びかけられたのに応えないイスラエスの民に怒りを覚えられるイエスの姿や、イエスご自身が顕わされた多くのしるしを目の当たりにしても悔い改めないイスラエスの町々に怒りをぶつけておられるイエスの姿が記されています。

 今日の福音の冒頭、イスラエルの民への呼びかけを知恵ある者や賢い者には隠され、幼子のような者にお示しになる御父を、イエスがほめたたえておられます。ただ、知恵ある者や賢い者は御父の救いには与れない、ということではなさそうです。「子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」とイエスがおっしゃるように、たとえ知恵ある者でも、イエスが示してくださらない限り気づけない、ということなのでしょう。逆に、イエスが示してくだされば、知恵をもたない幼子のような者でも気づくことができます。まさに、「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14・6)のです。

 洗礼者ヨハネが悔い改めるように呼び掛けても、イエスが示された多くのしるしを見ても、悔い改めることができなかったイスラエルの人々対して、イエスはわたしの(くびき)を負うように、と呼びかけられます。軛は2頭の牛を繋げて農具を引かせるための横木です。御父の救いに与るための唯一の方法は、イエスと共に歩むことだ、ということでしょう。わたしたちもイエスの呼びかけに応えられるよう、祈りましょう。

参考:(第一朗読:ゼカリヤ9・9-10)・(第二朗読:ローマ8・9、11-13)