今週の聖書の言葉

9月27日 年間第26主日 マタイ21・28-32

 そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。

祈りへの招き

祈りへの招き

 わたしは、四人兄弟の長男だったためか、親からなにか頼まれたときに、この兄のように「いやです」とはなかなか言えませんでした。とりわけ、弟や妹のために、と頼まれると断りづらかったように記憶しています。そんなわけで、この兄の「いやです」と答えたが、後で考え直して親から言われたようにする、というお話は少年時代のわたしの中で強く印象に残りました。頼まれた時には断っても、後から言われた通りにするなら、「いやです」って言って良いんだ!
 一時期は親からの頼まれごとのたびに頭の中で思い出していた聖書の箇所でしたが、実際にはそんな風に言えたことは余りなく、逆に妹や弟が親に頼まれて「いやです」と答えているのを、「あっ、断るんだ」となかば感心しながら見ていたように思います。私たちをよく知っておられるイエスや御父にとって、私たちの返事の仕方など大きな問題ではなかったのだ、と思えるようになったのはだいぶ後になってからのことでした。

 イエスが糾弾しているのは返事の仕方ではなく、洗礼者ヨハネの言葉を聞き流す人たちの態度です。ヨハネの呼びかけが心に響かない人たちは、自分たちに都合のいい神を信じているのでしょう。その人たちは自分たちの行いが変わらなくても、神は自分たちを見捨てることはない、と考えているのです。逆に、神からは遠く離れてしまったと感じている人たちは、神に近づこうとして自分たちの行いを変えようとします。

 私たちは御父に自分から近づくことはできません。御父が私たちに近づいてきてくださいます。回心して行いを変えた私たちに神が近づいてきてくださるよう、祈りましょう。

参考:(第一朗読:エゼキエル18・25-28)・(第二朗読:フィリピ2・1-11)