2023年05月27日の聖書の言葉

5月28日 聖霊降臨の主日 ヨハネ20:19-23

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 「キリストの誕生日」が「クリスマス」ならば、「キリスト教会の誕生日」は「聖霊降臨」です。
 第1朗読「使徒言行録」2章では、聖霊が降る様子を、「風が吹く」や「炎のような舌が分かれ分かれに現れる」と形容しています。「舌」は原文のギリシア語では「言葉」という意味も持っています。6節の「自分の故郷の言葉が話されているのを聞く」は「バベルの塔」の話(創世記11章)を連想させます。しかしバベルの塔と聖霊降臨とでは、正反対のことが起こりました。「バベルの塔」が、神が人々の言葉を混乱させて「伝わらない言葉」となったことによって建設を中止させた物語です。一方、聖霊降臨では、弟子たちが話し始めたさまざまな言語は、ユダヤ人だけではなくクレタ島やアラビアなど、世界中から集まった人々に、各々の言語で「伝えることができる言葉」となりました。キリストの教えを説いた弟子たちの言葉は、人々に感銘を与え、大勢の人が洗礼を受けて仲間に加わったと使徒言行録は伝えています(2章41節)。

 ヨハネ福音書は、ユダヤ人を恐れて閉じこもっていた弟子たちの姿を伝えています。「家の戸に鍵をかけていた」の部分は、英語では"locked doors"と、ドアに複数形が使われています。家の戸に加えて、肝心なところで怖くなってイエスを見捨てて逃げてしまった後悔のために「心の戸」にも鍵をかけていたのでしょう。そのような弟子たちの真ん中に復活されたイエスが出現されて「あなたがたに平和があるように」という祝福の言葉をくださったのです。「弟子たちは、主を見て喜んだ」と聖書は伝えています。ヨハネ福音書は、この場面でイエスが息を吹きかけて聖霊を授けたと記されています。

*キーワード:聖霊の続唱「聖霊来てください」
 年に1回、聖霊降臨の主日ミサで「聖霊の続唱」(典礼聖歌352番)が歌われます。アレルヤ唱や詠唱に続いて歌われることから続唱と呼ばれるようになりました。歌詞に「光」が繰り返され、「証の力」、「癒す力」など、聖霊の働きを歌った美しい祈りです。

聖霊来てください。あなたのの輝きで、わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の、証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。
苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。
恵み溢れる、信じる者の心を満たすよ。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。
固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン。

 聖霊降臨の祝日にあたって祈ります。
 聖霊来てください。人類が知恵を出し合い、戦争を終結させ、平和がもたらされますように。地震や災害による苦しみ、コロナが招いた痛手からの癒しが与えられますように。
 聖霊来てください。あなたの恵みの力で、救いの道を歩み続け、終わりなく喜ぶことができますように。 アーメン。

参考:(第一朗読:使徒言行録2・1-11)・(第二朗読:一コリント12・3b-7,12-13)


2023年05月20日の聖書の言葉

5月21日 主の昇天 マタイ28:16-20

 そのとき、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 マタイ福音書の最終章、弟子たちを世界中へ派遣する場面です。
 主のご昇天の出来事は、第1朗読の「使徒言行録1章」に記されています。ルカはイエスの誕生からご復活、ご昇天までを「ルカ福音書」に、ご昇天の場面以降を「使徒言行録」に記しました。
 本日の福音書では、復活されたイエスが、弟子たちに四つの使命を与えます。「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい。私が命じたことをすべて守るよう教えなさい」という四つの使命です。弟子たちは「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」というイエスの約束に支えられながら、聖霊の力を授かって、これらの使命を果たすために派遣されていくのです。

*キーワード1:ガリラヤ
 復活されたイエスが、墓を訪れた婦人たちに出現されて、「ガリラヤに行くように。そこで私に会うことになる」と弟子たちに告げるよう命じられました(マタイ28章10節)。
 かつてイスラエルの民は、出エジプト後に、シナイ山で律法を授かりました。そして弟子たちは、復活されたイエスから、ガリラヤの山新しい律法を授かることになったのです。
 ガリラヤはペトロたち4人の漁師が最初のイエスの弟子として召命された場所です。3年にわたって弟子たちがイエスと共に暮らした生活の場所でした。復活されたイエスは、弟子たちと会う場所としてガリラヤを選ばれました。

*キーワード2:主の昇天
 カナダから来日され、生涯をかけて宣教活動に当たってくださった修道士の方が、老後帰国され、帰天されたときのことでした。日本で行われたお別れの会で弔辞を読まれた方の感謝の言葉と共に、「この世でのお別れは寂しいですが、カナダと日本という距離が消えて、時間や場所に限定されることなく、いつでもお話しできるようになりましたね」と、ご遺影に語りかける姿が印象的でした。
 復活されたイエスは、ペトロやパウロをはじめ数百人に出現されて、メッセージを与えてくださいましたが、地上におられた間は、時間や場所に制約がありました。しかしご昇天されたことによって、時間や場所を超越して「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」ことが実現したのです。

*キーワード3:世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる
 マタイ福音書最終章の最後のキリストの言葉です。マタイ福音書1章で、ヨセフが夢の中でキリストの誕生を知らされたとき「その名はインマヌエルと呼ばれる。その名は『神は我々と共におられる』という意味である」(23節)と天使から告げられた言葉でもあります。
 アフガニスタンでの支援活動に生涯をかけられた中村哲医師は、生前、この聖句「天、共に在り」(中村さんの著書名にもなっています)が聖書の真髄であると述べておられます。

 主の昇天の主日にあたって祈ります。どのようなときにもいつも共にいて励ましてくださるキリストに信頼して、生活の場で、神の愛を証して生きていくことができますように。 アーメン。

参考:(第一朗読:使徒言行録1・1-11)・(第二朗読:エフェソ1・17-23)


2023年05月13日の聖書の言葉

5月14日 復活節第6主日 ヨハネ14:15-21

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 先週に引き続き「別れの説教」が朗読されます。イエスは、困惑する弟子たちを励ますために、「二つの約束」をしてくださいました。一つ目は「別の弁護者の派遣」、二つ目は「イエスご自身の再来」の約束です。
 「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である」(16,17節)と記されています。
 聖霊を与える約束と共に、イエスご自身が弟子たちのもとに戻って来ることを告げて励ましてくださいました。「あなたがたは私を見る」「あなたがたはわたしの内にいる」「わたしもあなたがたの内にいる」という、深く強い絆で結ばれていると言ってくださったのです。
15節:「わたしを愛する」ならば「わたしの掟を守る」
21節:「わたしの掟を守る」ならば「わたしを愛する」
「ならば」を矢印(→)(←)で表すと、「わたしを愛する」⇔「わたしの掟を守る」となります。
数学の世界では「必要十分条件」、つまり、「イエスを愛する」ことと「イエスの掟を守る」ことはイコールであると教えてくださったのです。

*キーワード:「わたしの掟」
 ヨハネ福音書13章~17章は、「最後の晩餐」の席で、イエスが弟子たちに話された珠玉の教えが詰まっています。13章34、35節には、イエスが「新しい掟」を与える場面が登場します。
 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」
 この直後にイエスは捕らえられ、十字架上で亡くなられます。つまり、イエスがお命じになった「新しい掟」は、イエスの遺言とも言える大切な掟なのです。

 イエスが命じられた「愛」は、ギリシア語の「アガペー」であり、好き嫌いを超えたものです。十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られたお姿です。

 アメリカ公民権運動の指導者キング牧師は、1957年の講演でアガペーについて、次のように話しています。
 「われわれは憎悪に対しては愛を対決させなければならない。肉体的暴力に対して、魂の力を対比させなければならない。時の流れを超えて今も叫ぶ声が聞こえる。『あなたの敵を愛し、あなたを呪う者を祝福せよ。あなたをののしる者のために祈れ』(マタイ福音書5章)。今、私は感傷的で浅薄な愛について語っているのではない。私が語っているのは『アガペー』(無償の愛)についてである。私は人々の心の中にある神の愛について語っているのである。私が語っているのは、一方でその人がなす悪事を憎みつつも、悪事をなす人を愛するように促す愛についてである。われわれはそのような愛を実行しなければならない」

 祈ります。誰に対しても、悪に悪を返すことなく、憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解をもたらす平和の道具としてお使いください。 アーメン。

参考:(第一朗読:使徒言行録8・5-8、14-17)・(第二朗読:一ペトロ3・15-18)


2023年05月06日の聖書の言葉

5月7日 復活節第5主日 ヨハネ14:1-12

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 本日の福音書は、ご受難前日の「最後の晩餐」の席で、イエスが弟子たちに話された「別れの説教」の冒頭部分です。弟子たちは、3年にわたってイエスと行動を共にすることが許されました。しかし今日の朗読の直前の箇所で「わたしが行く所にあなた方は来ることができない」と言われて戸惑いを隠せない弟子たちに向けて、イエスは語りかけてくださったのです。

*キーワード1:心を騒がせるな
 このワードは、ヨハネ福音書14章に2回(1節、27節)登場します。先を見通すことができず、不安に襲われて心が動揺しているとき、自分の力に頼るだけでは解決することが困難です。イエスは「心を騒がせるな」に続いて「神を信じなさい、そして、わたしをも信じなさい」と話されました。神に信頼し、お委ねすることによって、自分の力では解決できないことでも、神の知恵と力によって乗り越えることができることを諭し、励ましてくださったのです。

*キーワード2:場所を用意しに行く
 「場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える
 「イエスがどこか手の届かない所に行ってしまう、どうしよう」。動揺する弟子たちは、このイエスのみ言葉によって、大きな慰めと希望が与えられました。私たちが今いる所は通過点に過ぎず、イエスが場所(天国)を用意してくださった後に迎えに来てくださり、その場所で、イエスと共に過ごすことができるという力強い約束をしてくださいました。

*キーワード3:道
 教皇フランシスコは「わたしは道である」(6節)の聖句について、2020年5月10日、正午の祈りに先立つ説教の中で次のように話されました。
 「キリスト者として、それぞれが自問しましょう。『私はどの道を行くのか』。世俗の道や、自己主張の道や、利己的な権力の道など、天国につながらない道もあります。そして、謙遜な愛や、祈り、柔和、信頼、奉仕などの道に代表されるイエスの道があります。自分が主役の道ではなく、人生の中でイエスを主役とする道です。『イエスよ、私のこの選択をどう思いますか。この状況で、これらの人々と共にいて、あなたならどうしますか』と毎日尋ねながら進む道です。イエスに天国への道を示していただくのはよいことです」

 「道」は英語で"the way"という単語が使われています。「道」には、"road"道路も"street"街路もありますが、"way"は「道路」の他に、「方法」や「方向」という意味でも使われる単語です。
 イエスが用意してくださる場所に到達するために、何を大切にし、何を手放すのか、日々の生活の中で、正しい方法を選択することができますように。そして、用意された場所を目指して、正しい方向に歩んでいくことができますように。 アーメン。

参考:(第一朗読:使徒言行録6・1-7)・(第二朗読:一ペトロ2・4-9)