2023年05月13日の聖書の言葉

5月14日 復活節第6主日 ヨハネ14:15-21

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 先週に引き続き「別れの説教」が朗読されます。イエスは、困惑する弟子たちを励ますために、「二つの約束」をしてくださいました。一つ目は「別の弁護者の派遣」、二つ目は「イエスご自身の再来」の約束です。
 「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である」(16,17節)と記されています。
 聖霊を与える約束と共に、イエスご自身が弟子たちのもとに戻って来ることを告げて励ましてくださいました。「あなたがたは私を見る」「あなたがたはわたしの内にいる」「わたしもあなたがたの内にいる」という、深く強い絆で結ばれていると言ってくださったのです。
15節:「わたしを愛する」ならば「わたしの掟を守る」
21節:「わたしの掟を守る」ならば「わたしを愛する」
「ならば」を矢印(→)(←)で表すと、「わたしを愛する」⇔「わたしの掟を守る」となります。
数学の世界では「必要十分条件」、つまり、「イエスを愛する」ことと「イエスの掟を守る」ことはイコールであると教えてくださったのです。

*キーワード:「わたしの掟」
 ヨハネ福音書13章~17章は、「最後の晩餐」の席で、イエスが弟子たちに話された珠玉の教えが詰まっています。13章34、35節には、イエスが「新しい掟」を与える場面が登場します。
 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」
 この直後にイエスは捕らえられ、十字架上で亡くなられます。つまり、イエスがお命じになった「新しい掟」は、イエスの遺言とも言える大切な掟なのです。

 イエスが命じられた「愛」は、ギリシア語の「アガペー」であり、好き嫌いを超えたものです。十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られたお姿です。

 アメリカ公民権運動の指導者キング牧師は、1957年の講演でアガペーについて、次のように話しています。
 「われわれは憎悪に対しては愛を対決させなければならない。肉体的暴力に対して、魂の力を対比させなければならない。時の流れを超えて今も叫ぶ声が聞こえる。『あなたの敵を愛し、あなたを呪う者を祝福せよ。あなたをののしる者のために祈れ』(マタイ福音書5章)。今、私は感傷的で浅薄な愛について語っているのではない。私が語っているのは『アガペー』(無償の愛)についてである。私は人々の心の中にある神の愛について語っているのである。私が語っているのは、一方でその人がなす悪事を憎みつつも、悪事をなす人を愛するように促す愛についてである。われわれはそのような愛を実行しなければならない」

 祈ります。誰に対しても、悪に悪を返すことなく、憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解をもたらす平和の道具としてお使いください。 アーメン。

参考:(第一朗読:使徒言行録8・5-8、14-17)・(第二朗読:一ペトロ3・15-18)