そのとき、群衆はヨハネに、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
ヨハネのもとに「群衆」や「徴税人」、「兵士」が訪ねてきました。ヨハネは「群衆」には「持ち物を分かち合いなさい」と勧めました。「徴税人」はユダヤ人でありながらローマ帝国のために同胞から税を取り立てる仕事をしている人でした。彼らには「不正な取り立てをやめなさい」と促しました。「兵士」には「他人のお金を奪ってはいけない」と諭しました。それぞれの置かれた場所で、神の御心に適う生き方をすることを求めたのです。
本日の福音書の直前には「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(ルカ3章9節)という、厳しさを感じさせる表現が記されています。しかし、良い実を結ぶためにヨハネが告げる悔い改めの勧めとは、仕事を変わりなさいといった大変革ではなく、「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」(同8節)ために、「それぞれの生活する場所で、すぐに実行できることをすぐに実行しなさい」という勧めでした。
待降節にあたって祈ります。
待降節を回心の機会として生かすことができますように。隣人に心を開き、不正を行っていないか振り返り、よくない行いがあれば直ちに改善すること。さらに持ち物を分かち合い、不平や不満を抱くことをやめて、感謝の心を持つことができるよう努めたいと思います。
この決心を祝福し、お導きください。主キリストによって、アーメン。
参考:(第一朗読:ゼファニヤ3・14-17)・(第二朗読:フィリピ4・4-7)