2024年05月18日の聖書の言葉

5月19日 聖霊降臨の主日 ヨハネ15・26-27、16・12-15

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 聖霊の続唱(セクエンツィア)「聖霊来てください」
 年に1回、復活祭から数えて50日目の聖霊降臨(ペンテコステ)のミサで「聖霊の続唱」(典礼聖歌352番)が歌われます。アレルヤ唱や詠唱に続いて歌われることから続唱と呼ばれるようになりました。歌詞に「光」が繰り返され、「証の力」、「癒す方」など、聖霊の働きを歌った美しい祈りです。

聖霊来てください。あなたのの輝きで、わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。
苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。
恵み溢れる、信じる者の心を満たすよ。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手を癒す方
固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン。 アレルヤ。

 聖霊降臨の主日にあたって祈ります。
 聖霊来てください。
 人類が知恵を出し合い、ウクライナ、パレスチナをはじめ世界各地の争いを終結させ、平和がもたらされますように。地震や災害による苦しみからの癒しが与えられますように。
 聖霊来てください。
 あなたの恵みの力で、救いの道を歩み続け、終わりなく喜ぶことができますように。 アーメン。

参考:(第一朗読:使徒言行録2・1-11)・(第二朗読:ガラテヤ5・16-25)


2024年05月11日の聖書の言葉

5月12日 主の昇天 マルコ16・15-20

 そのとき、イエスは十一人の弟子に現れて、言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受る。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。

祈りへの招き

祈りへの招き

 本日の聖句は、マルコ福音書最終章の最後の部分です。復活されたイエスは、「全世界に行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と弟子たちに命じられ、キリストの名によって「悪霊を追い出す」力や様々な「しるし」を与えられました。

 イエスは現代を生きる私たちにも、言葉だけではなく、行いを通して「神の愛を宣べ伝えなさい」と呼びかけ、招いてくださっているのだと思います。
 日本の若者は諸外国の若者と比べて「自分自身に満足している人」「将来に明るい希望を持っている人」「宗教が心の支えや行動のよりどころとなっていると思う人」の割合が少ないという調査結果が示されました。(内閣府2019年)

 神は愛ゆえにご自分にかたどって人を創造されました。それは極めて良かったと聖書は伝えています(創世記1・27-31)。大人は、「あなたは無条件に愛されている存在である」ことを若者に伝える使命が与えられています。
 シスター渡辺和子先生は「子どもは大人の言う通りにはなりません。大人のする通りになります」と言われました。

 私たちがその生きざまを通して、神の愛を示していくことができますように。 アーメン。

参考:(第一朗読:使徒言行録1・1-11)・(第二朗読:エフェソ4・1-13)


2024年05月04日の聖書の言葉

5月5日 復活節第6主日 ヨハネ15・9-17

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 本日の福音書は、ヨハネ福音書13章から続く、イエスの教えの集大成ともいえる部分です。
 イエスは弟子たちの足を洗い、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」という新しい掟(戒め)を与えてくださいました。その後イエスは捕らえられ、十字架刑に処せられることになりました。従ってこの戒めは、イエスの遺言となったのです。

 では「互いに愛し合う」とは、どうすればよいのでしょうか? 「愛」と「恋」が違うことはわかりやすいことかもしれません。「恋」は「感情」ですが、「愛」は感情ではなく、「意志」だからです。
 イエスが生涯を通して示してくださった「愛」について、わかりやすく説いてくださった本田哲郎神父様(フランシスコ会)の言葉を紹介します。

 聖書に出てくる「愛」と訳しているギリシア語は「アガペー」です。アガペーとは「大切にする」ということです。好きになれない相手かもしれない、でも大切にしなさい。愛情を感じない相手であるかもしれない。でも大切にしなさい。自分自身が大切なように、隣人を大切にしよう。愛情が薄れ、友情が失われたとしても、その人をその人として大切にしようとすること、これこそ人間にとって大事なことなのだ、と。・・・相手をいつも好きになれるとはかぎらないし、それは気にしなくてもいいのです。大切にするということは一所懸命努力することが大事。そういうことなのです。
  本田哲郎 著 『釜ヶ崎と福音』 岩波書店

 祈りましょう。
 私たちが感情に任せて生きるのではなく、好きではない人を大切にすることができますように。
 十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)と祈られたキリストを手本として、生きていくことができますように。 アーメン。

参考:(第一朗読:使徒言行録10・25-26、34-35、44-48)・(第二朗読:①ヨハネ4・7-10)