2024年07月のコリーンのコーナー

(愛知)(学)聖カタリナ学園
聖カタリナ幼稚園
お茶室体験と聖母の集い

Let's シャウト・アウト②

 最近流行の「シャウト・アウト」という行為の肝心なところは、これが公の場での表現であり、従って必ず共有されるというところです。もし個人的なものならば、おそらく時間をかけて一つひとつ恵みを数えあげ、人生を豊かにしてくれた人々の名前を小声で挙げる程度でしょう。また、感謝を直接に伝えることはよくあるのですが、それも私たちを支え励ましてくれた人にはやはり個人的に伝えます。こうした個人的な行動もなかなかよいものです。でも、公けの場で感謝を伝えることで、自分が祝福されているという喜びの感情をさらに拡げ深めることができるのです。

 正直なところ、今日インターネットやSNSがあまりに普及してしまい、もっとプライヴァシーが必要だったり、あまり公にならないことを望んだりします。
 他方で、恵みの経験について公けの場で喜んで話すことで、人々に変化をもたらすこともあります。シャウトする人、シャウトされる人、そしてそれを目にした共同体やグループのメンバーたちに、それが起こります。喜びは自然に広がっていくものです。私たちもがんばってその喜びを拡げてもいいでしょう!感謝のうちに頭を垂れるときもよくあります。でも目をあげ、声をあげて讃美するときもまたあってもいいでしょう。

 アレルーヤは詩編という書物にもっともつながりがあると言ってもいいでしょう。人間のあらゆる感情を収めた聖書の偉大な書物です。詩編には歎きや讃美が含まれていますが、幾世紀にも及んでメロディーを添えて繰り返し歌われてきました。一見個人的な祈りに響くのですが、実はほとんどが公けの場で使用されるために作られたのです。これらは神殿で歌われ、初期のキリスト教徒に使われ、その後今日に至るまでユダヤ教とキリスト教の典礼や礼拝においても重要な役割をはたしてきました。

 最後の詩編、第150番は、讃美の爆発です。初めから最後までアレルーヤの喜びで満ちています。これらの行間は楽の音と踊りで埋められているのです。思うに、私たちも公けの場に出て讃美を捧げるよう諭されているかのようです。今日流行りのシャウト・アウトという行為は、一過性のトレンドかもしれません。それでもアレルーヤは、この地にとどまりつづけるでしょう。そう信じています。

 最後に、私自身のシャウト・アウトでこれをしめくくるのもやぶさかではないと感じています。

 私のエッセイとコラムを快く、ときに忍耐をもって日本語に移しかえてくれている夫に、心から感謝をこめて。アレルーヤ。

次回は「創造主のより完全なるイメージに近づく」(仮)のお話を8月4日に掲載予定です。