(北海道)旭川白百合幼稚園 園舎
いつの時代も学生は季節について話したがるようです。授業の初日、学生らに自己紹介をしてもらうと、好きな季節をあげてくることがあります。そして、先生は?と聴いてきます。調査や討論のトピック選びでブレインストーミングをするときも、学生が「季節はどうでしょう」と提案することもよくあります。外国の人々に日本をどう紹介するかと尋ねると、「四季」と答える学生もいるくらいです。日本にきたばかりのころには、この季節へのこだわりに少し驚きました。自分も出身地である米国北東部、ニューイングランドの四季の写真は、かなり美しい壁掛けカレンダーになるのよ、と誇りにしているにもかかわらず。
歯切れの悪い答えを二回三回と繰り返すうちに、今でははっきりとその問いに答える準備ができています。私は秋が好き。美しい色づきと、肌を刺すような爽やかな空気、そして子どもの頃の新学期が始まるときめきの思い出と。(「食欲の秋」とか「読書の秋」といった回答は、想像すらしませんでした。)
十年くらい前の話ですが、一人の学生が人生の季節について質問してきた時には面食らいました。人生で最良のときはいつだったか、と訊くのです。私も年をとったな、と感じました。しばらく考えてから、大学時代、と声に出しかけました。実際に自由と成長にあふれた素晴らしい年月でしたから。でも、ためらいました。人生最良の時はもう終わりかけている!なんて伝えたくなかったのです。何とか会話をつづけて、学生の問いには答えずにやりおおせました。後になって気づいたのです。今のこの瞬間がもっと長つづきすればいいなと心から願う瞬間があるということに。
その頃は人生の忙しい「季節」を迎えていました。「人生の夏」と言えるときかもしれません。といってもバケーションの最中だと感じたことはありませんが。子どもたちは小学校に通っていました。その間、私は仕事をしています。子どもたちが家にいるときは、車で習い事に連れていったり、お弁当や夕食を作ったり、子どもたちが翌日必要なことを一つひとつチェックします。幸福な人生だと感じていましたが、それでもときに大学生時代に経験した自由と成長の機会があればいいな、と感じることもありました。
ところがその日、学生から問われた日、人生の「季節」と「瞬間」とは異なることに気づきました。子どもたちは日々成長してゆきますが、毎晩の食卓では私たちとまだ共にいたのです。それがどんなに愛おしい瞬間だったか。息子は夕食時の会話の司会を務め、娘はメイン·スピーカー、夫とわたしはプロデューサー兼聴衆という役回りです。子どもたちが伝えようとする物語、そのエネルギーとユーモアが、どれほど愛しいものであったことか。こうした思い出は、今でも私の人生のお気に入りの瞬間です。だからといって、「夏」がわたしのお気に入りの季節だと言えるでしょうか? 最良の季節はもう過ぎ去ってしまったと、自分に言いきかせたくないのです。
コリーン・ダルトン