(京都)精華聖マリア幼稚園
フランシスコスクエアとホーリーコーナー
教会の典礼歴において、復活節の喜びの祝いは、聖金曜日の後にまたたくまにやってきます。ところが、初期の信徒らは、ユダヤ人共同体からキリスト教徒の共同体へと、このように短い期間でしかも容易に移行したわけではありません。
マルコ福音書は初めに書かれたものですが、この復活の日曜の朝についても書き残しています。それは女性たちが墓から逃げてゆく場面で終わります。
「震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(16:8)と記されている通りです。
「キリスト者」という言葉は新約聖書のなかでたった3回だけ使われています。
(「使徒言行録」11:26; 26:28、「ぺトロの手紙一」4:16)。
当時この言葉は蔑んだ用語であり、人々が混在した信徒のグループとしてのアイデンティティを言いあてた表現とはまだなっていませんでした。さらに、イエスの死後おそらく20年ほどして、教会の指導者たちがエルサレムで一堂に会することとなります(紀元50年の頃。「使徒言行録」15章、「ガラテアの信徒への手紙」2章参照)。
当時イスラエル民族以外の、いわば「異邦人」の信徒が増えていくなかで、ユダヤの律法をどのように理解してゆくべきかについて話し合うために会議が開かれます。初期の諸教会では、それ以前の自らの共同体がかかえるあらゆる局面を繰り返し何度も検討し直し、それをまた新たな状況やその中から湧き上がる精神へと結びつけ、組み込んでいかなければなりませんでした。こうした重要な移り変わりは、決して素早く円滑に進むわけがありません。
現代で仮に一人ひとりの人生における移行期をとりあげるならば、それは普通歴史を創りあげるというほどの大層なものとはなりません。その多く、例えば入学、クラブ活動への入部、家庭をつくるなどは、私たちの今日の社会的制度によって支援されています。ところが、人生の終わりの方に直面する移行期というのは、例えば空の巣づくり、退職、老化など、まだ文化に十全に組み入れられているというわけではありません。そしてそれを特に「変化」というよりも、「衰退」として捉えるときには、ことさらに難しいものとなります。
つまるところ、あらゆる移行期には、それが通常の個人的なものであれ並外れた歴史的なものであれ、文化的に支援されていようとそうでなかろうと、時間と忍耐とが、そして何よりも重要なことに創造力が要求されます。無から人生を立て直すということなど起こり得ません。私たちには過去が必要なのです。だからと言って、その古きものにただつけ足せばいいというものでもありません。そうではなくて、記憶と希望の双方を懐きながら、自らを新たに発見してゆくことが大切なのです。
ここで再び当初のベンチの話と、件(くだん)の引用句に戻ることになります。
「愛とは互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向をみつめて歩んでいくことである。」
今や私の生活空間は、以前とは違ったものに見えます。このベンチには思い出がいっぱい詰まっていますが、いまは玄関口の近くにおかれ、いわば「途中駅」のような役割を果たしています。買い物カバンや郵便物をおいたり、時にわたしが腰を下ろしたりする場所として。ダイニング・テーブルの両方の側にはそれぞれ椅子が一脚ずつ置かれ、わたしが自分の席に腰を下ろすとき、なにか新たなものに向けて希望を見いだすのです。
移行期というのは、なにかと容易ではありません。それでも、サンテグジュペリがうまく言い当てたように、肩と肩とを並べてすごす時は、当初の「顔と顔とを突きあわせたとき」の愛を着実に深め、すべてを可能にしてゆくのです。