(愛知)名古屋カトリック学園
サンタマリア幼稚園 園舎
世界中のどの文化にも、この世界がどのようにつくられたかを説明する独自の「創造物語」があるものです。
聖書にもその多様な記述を見ることができます。もっとも知られた二つの物語は創世記の初めに、連なるようにして登場します。初めの創造物語には広く知られる次の箇所が含まれています。
神は言われた。「光あれ。」
こうして、光があった。 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」(創世記1: 3-5)
この「創造」の箇所が言いたいのは、神がどのようにして六日間で、言葉の力をもって混沌から秩序を創り上げたかという次第です。六日目に神は生きとし生けるもの、人間を神の似姿にかたどって男と女とに創られた。そして神は人の数を増やし、地を治めるという任務を人間にお与えになった。
こうした詩的な文章を耳にするとき、人は力あるよき神、その言葉を実現させる神について語る古代の典礼を追体験するのです。
神は七日目に休まれた、と記す箇所につづいて、私たちは植物も人間もない世界に再び出会います。創世記の第二章では、第一章の続きとはならずに、第二の、まったく別の創造物語が語られます。
ここでは「主なる神」(YHWH)が地に足をつけた神として登場します。神は芸術家で、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記 2: 7) 。また、この神はエデンの園を耕す庭師としても描かれます。「主なる神」(YHWH)は力ある創造主ですが、今度は言葉ではなく、じかに関わることで命を生み出します。この神は善きものではありますが、善悪を知る禁断の木を園に植えます。さらにこの神は被造物のなかでももっとも賢い生き物、蛇を閉め出そうと手を焼く様子もありません。この物語のつづきについては、だれもが知る通りです。
こうした物語の説明は馴染みがあり、意味深いものです。ところが、それほど知られていないのですが、聖書にはほかにも注目に値する物語があるのです。その最たるものは「箴言」に現れる「知恵なる女性」です。この擬人化された知恵は、神によって「永遠の昔」、「太初、大地に先立って」「祝別されていた」方(箴言8: 23)であって、天地の創造を私たちの日々の営みと希望とに結びつけてくれるのです。「わたしに聞き従う人は確かな住まいを得 災難を恐れることなく平穏に暮らす。」(箴言1: 33)という具合に。