聖ドミニコ学院京都幼稚園
絵本を選ぶ園児と園庭
人生をスープに例えるなど、あまりに大袈裟に響いたり、一般的に結論づけたりするのは浅はかですが、それでもお椀におさまったお汁には、みなさまに「喜び」(joy)と「平安」(peace)を願う祈りに結びつけるための、考えるヒントがあると思います。
日本語でjoyにあたる漢字は「喜」と記し、名詞で「ヨロコビ」と発音します。それは動詞で「喜ぶ」(enjoy)としても使われます。この漢字の上部「吉」は「幸運」を意味し、漢字全体の内容にもうまく合致しています。たしかに、なにか素晴らしい体験をした時、ありがたいと感じるものです。喜びとは、ラッキー!ついてる!という具合に、大きな幸せの体験となります。
片や「平安」は穏やかで落ち着いた感情です。日本語でこの調和のとれた感覚は、「和」という漢字で表されます。この漢字の部首の本来の意味はよく分かりませんが、左側の禾(のぎへん)と呼ばれる部分は木のようなもの、おそらく穀類で、「和」の右側は「口」の意味のようです。これは必ずしもあてになる知識ではありませんが、左側の「のぎへん」(禾)の五画は、五感を表すとのことです。五感が「口」、すなわちよい味覚と組みあわされるとき調和となるわけです。
語源は何であろうとも、「和」はバランスと安定性を重んじるもののようです。
かといって、具のつまった食べごたえのあるチャンキーなスープの喜びが大袈裟なものだと言っているわけではありません。
わたしたちは普通、具体的な目標を頭にいれて時間とお金を効率よく使おうとします。暦に予定を書き込み、来たるべき楽しみや喜びに心躍らせます。そして、すべてがうまくいけば、うれしいものです。すると、そのサイクルを再び繰り返します。
故国でよく出回っている具だくさんの「チャンキー・スープ」のブランドには、「健康的に腹を満たす」という商業上の謳い文句があります。
ところが、実際にお腹の隅々にまで行きわたらせながら健康的に栄養を補給し、満腹感を長続きさせるのは、実は何気ない日常の食物である、とわたしは思うのです。
わたしの義理の母は、子どものころ毎週習字を習いに増上寺を横切って妹たちと通った坂道について、晩年、何度もよく語ったものでした。こうした通い路での思い出は、人生において重要な特別な出来事であったというわけではなかったかもしれません。それでも義母はその出来事を生き生きと、そしておそらく深い幸福感をもって思い出しているかのようでした。
はたしてわたしが義母の年齢になったとき、いったい子どものころのどんな出来事を覚えているのでしょう。おそらくそれは毎年周到に計画をたてて実施した行事のような重大事ではないだろうと感じています。それよりも父が幼いわたしを「金髪お姫さま」と呼んでいた声の響き、母がみんなのためにオーブンで焼くケーキの香り、そして姉と一緒に被った掛布団の下でパジャマの静電気からおこる小さな火花の魔法などを思いだすことでしょう。
「喜びと平安に満ちた年をお祈りいたします」の挨拶で手紙を始めるこの季節、ミスター・ステュアートとチャンキー・スープの思い出があふれて、押しよせてきます。今になって分かるのは、わたしが今日思い出していたあの土曜のランチは、メニューは異なるとして、まさにミソ・モーメント、「日常における至福の瞬間」であったということです。
みなさまにとって新しい年が、日々の生活にただようお味噌汁の香り、至福、この喜びの出来事に満ちた年となりますよう、心からお祈りいたします。
コリーン・ダルトン
附記:本稿は2015年の暮れ、12月にアメリカ合衆国の家族・親戚、友人らに宛てたクリスマスレターに基づいて加筆修正したものです。