2023年12月のコリーンのコーナー

聖ドミニコ学院京都幼稚園
園舎と園庭奥のルルド

お味噌汁の至福①

 「喜びと平安に満ちた年をお祈りいたします。」

 この季節、故国ではクリスマスから新年にかけて、よくこんな挨拶で手紙をはじめたり、または終えたりするものです。先日、この挨拶を、お汁(スープ)というすこし唐突で似つかわしくないものと結びつけて考えていました。

 13歳の夏休み、わたしは近くのシニア集合住宅に住む老夫婦、ステュアートさんたちのためにお手伝いを始めました。そのときミセス・ステュアートは骨癌の最終段階にあり、ミスター・ステュアートは、日常生活のお世話ができる人、また外出中に奥さんのそばに一緒にいてくれる人を探していたのです。こうして始まった私たち3人の関係は、残念ながらミセス・ステュアートが亡くなって、その夏の間だけで終わりを告げました。

 けれどもわたしはその後も、ほとんど毎週、土曜日の午前中、9時から12時までの間、ミスター・ステュアートのお手伝いをしました。掃除と縫い物、ときに小さなディナー・パーティーの計画とその準備などの仕事です。
 働いたあとで、ミスター・ステュアートとわたしは台所の小さなテーブルに向き合って座り、用意してくれたシンプルな昼食を一緒にいただきました。ハーフ・サンドウィッチとチャンキー・スープです。ミスター・ステュアートはいろいろな具が入った、食べごたえのあるチャンキーなスープが大好きでした。いま思い返すと、なんという至福のひとときだったことでしょう!

 それから15年ほどして私が日本に初めてやってきたとき、ここではスープが朝、昼、晩と、ほとんどいつでも食事の重要な部分を占めていることに気づきました。とはいっても、日本のスープは具がつまっているというふうではなく、チャンキー・スープのように「食べる」というよりは「すする」と言った方がふさわしいでしょう。
 ここでは味噌汁が頻繁に供されます。お澄ましやクリームスープも人気です。味噌汁には薄切りの大根や菜っ葉、海藻、または豆腐の角切りなどが入っていますが、栄養のためというより、彩りのために添えられたものに映ります。

 「ああ、もの足りない。」正直のところ、わたしはそう思ったものです。おそらく故郷で土曜日の昼ごとにミスター・ステュアートと一緒にいただいたスープを思い出していたからでしょう。
 ところが、あれからさらに時が過ぎて、日々すする日本のスープも味わい深いものになりはじめています。実際わたしの好物になってきました。
 初めていただいた時の「ああ、物足りない」が「なんという安らぎ!」に変わりました。  まさに至福のひとときになっているのです。

 

コリーン・ダルトン

                            

附記:本稿は2015年の暮れ、12月にアメリカ合衆国の家族・親戚、友人らに宛てたクリスマスレターに基づいて、手を加えたものです。