2024年06月のコリーンのコーナー

(東京)(学)星和学園
セント・メリー幼稚園
園庭の聖母子像

畏敬の館 ②

 はたして畏敬の念をよび起こすものとはどんなものでしょうか。人生をひとつひとつふりかえって、あなたを引き上げながらもまた地に足をつけるよう促す力をもった場所やものを思い出せますか。自分よりも大きなものを感じさせながら、さらに自己理解を深めてくれるような経験です。時がたつとともに、こうした手で触れられる有形の印は掛けがえのないものとなりつづけますが、しばしばそれが失われたり、中心からそれてしまったりすることもあります。イスラエルの共同体も実は同じような経緯をたどるのです。

 国外追放される以前の幾世代にもおよんで、イスラエルの民はその畏敬の館と結びつけて自らのアイデンティティを育んできました。嗣業の土地や王と結びつけて育くんできたこともたしかです。すると、民が流浪する間、自分たちが何者であるかを定義づけてくれるシンボルから引き離されることになります。
 そこで民が今度は内なる旅をはじめます。エジプト脱出のときから君主らの崩壊にいたるまで、自分たちの記憶をたどり伝承をかき集めます。次第にアブラハムとサラ、イサクとリベカ、そしてヤコブ、ラケルとレアといった古い伝承として語り継がれてきた物語にもさかのぼっていきます。さらに創造についての神話的テキストをもとり込んでいきます。こうした物語をつなぎあわせ、自らの物語をつけ加えるうちに、民は自分たちの歴史のなかに神がおられ働いていたというありさまをみてとるようになります。
 イスラエルは畏敬に満ちた本当の民として自らを新しく理解するという過程をたどったのです。

 祖母は夫が亡くなったあとでその家を手放し、同じ町のシニア・ホームに移りました。私はそのとき高校生でしたが、よく祖母を訪ね、泊っていくこともありました。新しい住まいは祖母にとって、また私にも自分の「家」と呼べるものには感じられませんでした。それでも時とともに気づいてゆくのですが、わたしはこのハイ・ストリート14番地を、自分の内にいくつもの物語や愛というかたちで運びつづけていたのです。
 あの家に別れを告げることになりましたが、畏敬の念が消えることはありません。それが形をかえていったということです。