園庭の樫の樹 と 園舎玄関のハイビスカス
父の世代の米国では、第二次世界大戦のあと、短い期間ですが軍隊で奉仕することになっていました。
父はドイツに派遣され、新しい文化を経験し、異なる背景を持つ人々と関わる機会をもってありがたかったと話していました。とはいうものの、軍隊での生活がすべて好きだったというわけではありません。父によると、いつも急げ、待て、と指示されたからとのことです。これは父のスタイルではありませんでした。
父とは違って、私は「急いで、それから待つ」というタイプの人間です。イベントの前に早めに出かけて、始まるまで少しばかり待つことになっても構いません。
とはいうものの、毎年11月になってクリスマスの飾りつけと商品の展示を急ぐのも、他方でクリスマスまで長々と待つのも、さほど好きではありません。
待降節と呼ぶ季節を貫く大切な要素は、いうまでもなく「待つ」ということです。それは、救い主の到来を待ち望むというクリスマス・ストーリーと、またクリスマスに至るまでを待ちわびるという一連の季節であるからです。
商業市場からは、待っている間にもっと買い物をしましょう、といわんばかりのメッセージが送られてきます。ところが、教会や家族の伝統では、また別のところに焦点が当てられるのです。
教会において、私たちはこの季節に固有の典礼に従います。クリスマスに至る4週間のあいだに、紫とピンクの蝋燭を灯します。子どものころ、教会でも家でも待降節の蝋燭を灯したという心暖まる思い出があります。また、4本の蝋燭がそれぞれの週の経過によって長さが異なってくるありさまを目にして、ときが流れているという感覚をもったことを憶えています。
また、待降節のカレンダーも思い出します。これをもって、12月1日にクリスマスへのカウントダウンが始まるのです。今年2024年は、この日が待降節の始まりとぴったり合っています。私の初めの記憶と言えば、紙でできた暦で、いくつも扉がついていて、それを開けると聖書の句や、わかりやすく言いかえられた句が書いてあって、イエス誕生の到来に私たちの意識が向くようにつくられています。ほかにもクリスマス・キャロルの、よく知られた歌詞を載せたカレンダーもありました。
初めてスイーツ入りの待降節カレンダーがやってきたのは、中学生のころでした。それぞれのプラスチック製の扉を開くと、そこに小さなチョコレートが隠れていました。姉と私が、毎日代わり番こで扉を開ける作業にも、真剣さが増してきました。でも少し戸惑いもあります。クリスマス前なのに、なんでプレゼントがもらえるんだろう、と首をかしげました。いつものように朝起きてカレンダーの扉を開けても、キャンディを口にするのは夕食後まで待たなくてはならないのは、正直いやでした。
この家族の習わしはその後しばらくして、消えてゆきました。それ以来この習わしを、私が母親になるまで経験することはありませんでした。