2024年11月のコリーンのコーナー

(高松)聖母被昇天学院 マリア幼稚園
「母マリア」像 と 神様のお話

歩みを数える、ロザリオの珠(たま)を数える ②

 祈りによって文言の記憶をサポートし、自由な思考を整えるという効用について考えるとき、はじめに頭に浮かぶのはロザリオの祈りです。
 ロザリオで祈るかどうかはおくとしても、珠を繰って数えながら祈るというのは、数珠を持つ人の多い日本人にとってかなり馴染みのあることではないでしょうか。

 カトリックのロザリオには普通、十個の珠が五連あります。それぞれのグループの始まりは大きめの珠で仕切られています。糸でつながれた珠が輪を描き、そこから短い糸が延びて十字架がぶら下がっています。
 連なった珠は祈りを「サポート」するのに役立ちます。祈る人は、難なく一連の祈りから外れることなく軌道に乗せてもらえます。
 また、指先を動かすことで、私たちが体をもった存在であることを思い出させてくれます。

 祈りが「自由」を与えてくれる局面については、ロザリオの黙想によって促進されることになります。
 ロザリオの祈りには伝統的に三つの神秘があります。「喜びの玄義」、「苦しみの玄義」、「栄えの玄義」です。これらは私たちが祈りに向かいたくなる局面をよく言い表しています。それぞれの玄義は、イエスとマリアの生涯の五つの場面をとりあげて、黙想の種を提供してくれます。
 例えば「喜びの玄義」には、マリアへの受胎告知、エリザベトの訪問、イエスの誕生、イエスの奉献、神殿でのイエスの発見、という出来事が含まれています。それぞれの場面を想像しながら、「アヴェ、マリア」の祈りを十回繰り返すことで、私たちの心と頭にある個人的また共同体的な喜びの瞬間をより深く理解します。

 幼いころから多くの人々が、ミサの前後にロザリオで祈る姿を目にしてきました。祖母が私たちのために「祈るから」と言うとき、ロザリオを手にして祈るんだろうと知っていました。

 当時、祈りの力というのは、形式的な文言を唱える祈りのうちに起きるものだと感じていました。でも今では違った理解をしています。こうした具体的な祈り、指でたどるロザリオ、そして日々の散歩のステップが、言葉や思いが届かない時にも、私たちを支えてくれるのです。

 こうした祈りは、もう辞めたいと感じるときも、支えつづけてくれます。祈りにおいて希望をつなぎとめることで、いつかふたたび祈りに集中して新たな気づきを得られるようになります。そして時とともに、祈りは私たちが訪ねたところの記録を、自らのうちに刻んでくれるのです。
 まるで父の扉に貼られた色とりどりの地図のように。