2025年06月14日の聖書の言葉

6月15日 三位一体の主日 ヨハネ16・12 -15

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 三位一体の祝日で朗読される福音の中では、真理の霊(聖霊)、御父、私(イエス)の間柄をイエスがお示しになります。そのなかで、イエスは「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」と断言されています。こんなことを、親に対して言える人は果たしてどれだけいるでしょう。

 私たち人間ならどんなに親しい人であっても、他人に対して「あなたの持っているものはすべて、私のものである」とは言えません。他人である以上、その人のすべてを持つことは不可能です。そう考えると、イエスは普通ではないこと、人の世ではありえないことをお話になっている、と分かります。

 このお話を聞いている弟子たちは、イエスの死と復活を経験していません。また、聖霊の導きも経験していません。それなのに、イエスは度々ご自分が去った後のことや、ご自分が去った後の聖霊による導きについてお話になります。弟子たちは、いったいどのような気持ちで聞いていたのでしょう?
 イエスも、弟子たちがすべてを理解するとは考えてはおられません(ヨハネ16・4)。私たちが今日の福音に記されている普通ではありえないイエスの言葉を受け入れることができるとしたら、それは洗礼によって授けられた聖霊の働きでしょう。

 福音の受け入れを助けてくださる聖霊に感謝を込めて、「父と子と聖霊のみ名によって」、と祈りましょう。

参考:(第一朗読:箴言8・22-31)・(第二朗読:ローマ5・1-5)