2024年12月07日の聖書の言葉

12月8日 待降節第2主日 ルカ3・1-6

 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
 「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を整え、
 その道筋をまっすぐにせよ。
 谷はすべて埋められ、
 山と丘はみな低くされる。
 曲がった道はまっすぐに、
 でこぼこの道は平らになり、
 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

祈りへの招き

祈りへの招き

 ティベリウスがローマ帝国第2代皇帝に即位したのは西暦14年のことでした。「彼の治世第15年」、すなわち西暦28年に「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」と、福音史家ルカは神の働きを歴史的な出来事として記しています。

 ヨハネは荒野で神の言葉を宣べ伝えました。その目的は、「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」ためであると聖書は告げています。山や丘のように救いなど必要ないと高ぶる人からは、そのプライドが取り除かれ、絶望感に襲われて谷にいる人には、慰めが与えられ、喜びで埋め尽くされる。こうしてすべての人が「神の救いを仰ぎ見ることができる」とヨハネは説きました。

 祈りましょう。
 「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」
 この御言葉を黙想したいと思います。ここで言われる「道」とは、ユダヤ人にとっては、バビロン捕囚から解放されて、夢にまで見た都エルサレムに帰るための道でした。私たちにとっては、イエス・キリストに向かう道です。
 障害物を取り除き、くねくね道をまっすぐにするためには、何を大切にし、何を手放し、どう行動すればよいのでしょうか? ヨハネの呼びかけに応えて、神の救いを仰ぎ見ることができますように。 アーメン。

参考:(第一朗読:バルク5・1-9)・(第二朗読:フィリピ1・4-6、8-11)