皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。
谷はすべて埋められ、
山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、
でこぼこの道は平らになり、
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
ティベリウスがローマ帝国第2代皇帝に即位したのは西暦14年のことでした。「彼の治世第15年」、すなわち西暦28年に「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」と、福音史家ルカは神の働きを歴史的な出来事として記しています。
ヨハネは荒野で神の言葉を宣べ伝えました。その目的は、「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」ためであると聖書は告げています。山や丘のように救いなど必要ないと高ぶる人からは、そのプライドが取り除かれ、絶望感に襲われて谷にいる人には、慰めが与えられ、喜びで埋め尽くされる。こうしてすべての人が「神の救いを仰ぎ見ることができる」とヨハネは説きました。
祈りましょう。
「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」
この御言葉を黙想したいと思います。ここで言われる「道」とは、ユダヤ人にとっては、バビロン捕囚から解放されて、夢にまで見た都エルサレムに帰るための道でした。私たちにとっては、イエス・キリストに向かう道です。
障害物を取り除き、くねくね道をまっすぐにするためには、何を大切にし、何を手放し、どう行動すればよいのでしょうか? ヨハネの呼びかけに応えて、神の救いを仰ぎ見ることができますように。 アーメン。
参考:(第一朗読:バルク5・1-9)・(第二朗読:フィリピ1・4-6、8-11)