そのとき、ピラトはイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
教会の暦では「王であるキリストの祭日」が年間最後の主日です。来週の待降節第1主日から新しい1年がスタートします。
「真理」について。
「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」とイエスは言われました。「真理」と訳される語は、原文のギリシア語で「アレテイア」(何も隠されていないこと)、ラテン語で「エメト」(確かなもの、不変性)を表す言葉です。
ヨハネ福音書には「真理」という言葉が度々登場します。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8・32)。「わたしは道であり、真理であり命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14・6)
ローマ総督ピラトはイエスに「真理とは何か」と問いました。この問いは大きな問いであり、人類が問い続け、正しい答えを見つけることが難しいものでした。
父なる神は御独り子を世に送り、この問いに応えてくださいました。イエス・キリストこそが真理であり、この方の言葉に留まり、この方に繋がって、この方を道として歩み、この方の命を生きることが真理であることを教えてくださいました。
「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハネ1・17-18)
イエス・キリストがそのご生涯を通して示して下さった「真理」とは、特にヨハネ福音書に繰り返し記されている「神は愛である」ということです。
「王であるキリスト」の祭日に当たり祈ります。
終末における愛の完成を信じて、いま私たちにできることをなす勇気を与えてください。イエス・キリストのご生涯に倣って、愛の行いを成すことができますように。アーメン。
参考:(第一朗読:ダニエル7・13-14)・(第二朗読:黙示録1・5-8)