私の母はまるで実際に天国やれん獄に行ってきたかのようにしゃべるので、私たち5人のきょうだいは、自分たちも実際に見てきたかのように思いつつ成長した。「天国にはさ、...
私の母はまるで実際に天国やれん獄に行ってきたかのようにしゃべるので、私たち5人のきょうだいは、自分たちも実際に見てきたかのように思いつつ成長した。「天国にはさ、...
私の母はいつも真白の割ぽう着を身につけていた。母の後ろ姿といえば、割ぽう着のひもの結び目が思い出される。 朝から晩遅くまで忙しく働いていて、母がくつろいでいる姿...
この世には様々な栄誉がある。例えば庶民が王妃になったりすると大騒ぎになる。しかし、私はマリアさまに比べたら瑣末なことにすぎないと思う。マリアさまはこの世に於いて...
神さまはいつでもどこでも私たちの心に住まわれているのに、私たちは気付かずに過ごしていることが多い。あとから考えると、あっ、あの時、神さまが呼びかけてくださったの...
三つ子の魂百までとはよくいわれることであるが、子どもの頃、五島で教えを受けた松下神父さまの言葉がずっと私を支えてくれている。それは、「心は地球を包めるくらい大き...
私は外見が華やかに見えるそうで、そういう先入観で見られがちであるが、よくよくつき合うと、そうではなく、逆に古風な面が多いので驚く人は多い。そうなのである。私は五...
姑が入院していた16、7年前、私は50代の初めで今の何倍もの忙しい生活をしていた。が、ほとんど毎日、夕方には姑の食事介助に通っていた。一番効率の良い道順で行けば...
「人生」という言葉もその意味もまだ知らない幼少の頃、私たちきょうだいは、今から思うと、毎夜、人生讃歌を子守唄代わりに育った。五島列島の津々浦々から集まったおじさ...
イエズスさまは神さまの御子さまだから、身体の完全な復活をなさった。しかし、私たち人間にはそれは不可能である。いつか神様によって復活できることを信じているが。なら...
私は母の胎内にいる頃からのカトリック信者である。生まれるとすぐに親の意志により幼児洗礼を受けさせられた。自分自身の意志でキリスト教を選択したのではなかった。幼少...