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キリスト教との出会い

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

私は母の胎内にいる頃からのカトリック信者である。生まれるとすぐに親の意志により幼児洗礼を受けさせられた。

自分自身の意志でキリスト教を選択したのではなかった。

幼少の頃、父母からよくいわれたことは「ちとことばせんばよ」であった。

食事の時、朝の祈り、夕の祈りの時など。つまり、「ちとこと」は「父と子と聖霊の御名によってアーメン」の略なのである。

乳児でさえ、お母さんのお乳を飲む前に、「ちとことばせんばよ」といわれ、「ちとこと・・・アーメン」というのであった。

あいうえお、かきくけこを覚える前に、「ちとこと」を覚えさせられるのであった。

キリスト教との出会い以前に、大地から生えてきたかのような土着のカトリック信仰を植えつけられて五島の子どもたちは成長した。

1年、1ヶ月、1日の生活のリズムはそのままカトリックの行事そのものであった。

信者でない人たちの祝うお盆やお正月ではなく、8月15日の聖母被昇天祭やクリスマスが私たちの大きなお祝い日であった。

生まれながらにしてカトリックにどっぷりつかって育った私が、キリスト教を意識し、心して新約聖書、旧約聖書の勉強をしたのは恥ずかしながら、30歳にして作家として出発したあとであった。

新約聖書、旧約聖書を読むと、何かしらないがなつかしい感情が湧き起った。

洗練された言葉が並ぶ聖書ではあるが、どの箇所を読んでも、かつて、松下神父様や、父母や、ゆかりの人たちが一番やさしい五島弁で語っていたことと重なるのだった。

私にとってキリスト教との出会いは、何もむずかしい宗教理論に裏打ちされたものではなく、生活の中から生まれたものである。