年の暮れになるとOさんの事を思い出します。
お正月にお会いした時、なにか疲れて年越しをされた感じがしたのでどうかなさいましたか?と聞きますと、「定年退職して都会から故郷に帰ってきたら、町内会長をさせられましてね。長い間留守にしていて、おふくろも色々皆さんにお世話になっていましたから、それは恩返しで良いのですが・・」。「大晦日には、一人住まいのお年寄りの所に簡単なおせち料理を配るのですよ。思ったより一人住まいの高齢者は多く、3回位に分けて配りました。夕方過ぎて暗くなっても、未だ何軒か回りました。置いておきますよと、玄関の靴箱や上がり框の上に置いて引き上げる訳にも行きません。テレビの音を大きくして何か食べたりしておられ、『ちょっとお茶でも呑んで!』と声が掛かります。様子伺いともなると、結構長い話になります。
中には、一杯やりませんかとの誘いもあります。一人で年を越す淋しさからか、引き止められます。家に帰ると、大晦日の夜も更けていました。食べ物も有難いと言ってくれましたが、少しでも一緒にいて話し合えることが何よりみたいなんです。」とのお話。
田舎だからかなと思いましたが、都会こそ孤独が染み込んでいます。
そういえばひと昔前、一人で年越しをする青年達が、「共同正月」といって集まり、餅付きやカラオケ等して年を越しました。共に時を分かち合う生き方に温かさと明るさがありましたね。
勿論、静かに一人で感謝と希望を膨らませる事も大切ですが。
Oさんのおせち配りと話し相手をする「分かち合い大晦日」はそれが最後でした。実はその時既に進行していた病で、半年後に帰天されたのです。周囲の人に分かち合いの温もりをのこして。