思えば、小学3年生のとき、雑誌の口絵にあった、ラファエルの聖母子に心を打たれ、額に入れて勉強部屋に飾ったのが、聖母との出会いの初めでした。5歳で母を亡くした私は、この絵を眺めながら、朝に夕に祈っていたのです。「もし、このようなお母様がいらっしゃったら!」と。6年の間、聖母が実在するお方であることも知らずに祈り続けてきた私に、神様が司祭をとおして答えてくださった恵みの瞬間を、生涯忘れることはないでしょう。
この日から3年が過ぎ、ようやく父の承諾を得て、聖母被昇天祭の朝に洗礼を授けて頂いた喜びと感謝を表す言葉がありません。聖母に導かれてイエス様に出会い、御父に自分をゆだねて生きる喜びは、年を重ねる毎に深まっていきました。
やがて、医学の学びを終えた後、「聖母に捧げられた修道会で生涯を神様に奉献し、苦しむ人々の支えになりたい」との望みも実現したのです。「聖母に願ってかなえられないことは何ひとつない」と言った聖ベルナルドの言葉はなんと真実なのでしょう!