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キリスト教との出会い

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

私は大学時代に英会話の先生の導きによって、プロテスタントの洗礼を受けていた。大学卒業後は就職し、淡々と教会に通っていた。

ある日曜日の夕方、私はゼンソクの発作を起こし、診察してくれる病院を探していた。電話をかけても出なかったり、断られたりして諦めかけたとき、たった一軒、「今からどうぞ」と言われた。夜道を息苦しさに何度も立ち止まりながら病院にたどりついた。病院に着き、質素な診察室に入ると、初めに目に入ったのは、小さなマリア像だった。女医さんは、よく私の話に耳を傾け、診察し、そして注射をし、薬を処方してくださった。

私はその間、マリア像を見ていた。主イエスが聖母のご胎内に宿り、このお方の血と肉によってご胎内で育ち、月満ちてこの世に人間として生まれたのだ。主イエスが私たちのそばに人間としていてくださる現実に、これまで抱いていたイエスの存在に対する心もとなさが拭われた。

帰りがけに、女医さんから「あなたはずっとマリア像を見ていたけれど、どうして?」と聞かれた。私は「聖母マリアを通して主イエスの存在を身近に感じました」と答えた。「そういうことなら、来週の日曜日、カトリック教会の主任司祭を紹介しましょう」と言われ、私はためらいなく「お願いします」と答えていた。

次の日曜日、女医さんと一緒にごミサに与った。そのあと、主任司祭を紹介され、それから2年間、毎週1回、2時間、カトリック教会の教えを学び、女医さんが代母となり、クリスマス・イブに改宗をした。

小さな診察室で私は真の「キリスト教との出会い」があった。暗い夜道を不安に駆られながら辿り着いた診察室での出来事は、今でも私の心の中で、消えることのない光を放っている。