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隣人愛

古橋 昌尚

今日の心の糧イメージ

 よく耳にする隣人愛という言葉は、おそらく「善きサマリア人の譬(たとえ)」(参:ルカ10章)からくるのでしょう。

 律法の専門家が「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができる」かと問い、それに対してイエスは「律法にはなんと書いてあるか」と問い返します。
 彼は答えます。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」更に、「隣人を自分のように愛しなさい」という教えを加えます。
 ここで神への愛と、人への愛が、みごとに結びつけられます。「わたしの隣人とは誰ですか」という専門家の問いに対して、イエスは善きサマリア人の 譬話 をもちだします。

 誰が隣人であるかという専門家の関心にたいして、イエスはむしろ自ら隣人になっていくことの肝要さを説きました。

 イエスは愛の対象ではなくて、愛の主体とその自発性に目をむけさせたのです。

 隣人への愛を示す「隣人愛」のメッセージは、逆説的にも隣人という対象を限るのではなくて、自分から出向いて隣人となってゆくことにあります。隣人を愛しなさいと言いながら、そのメッセージは、いいえ、愛の対象を「隣人」に限定してはいけません、自ら愛してゆく姿勢が大切なのですと言っています。

 当時ローマの支配下にあって、ユダヤ人はギリシア人、ローマ人、他民族との関わりの中で、だれが自分たちの「隣人」であるかは死活問題でもあったと言えます。
 聖霊降臨の出来事(参:使徒行録2・9~11)が物語るように、この地域ではあらゆる言葉を話す人々、地域、民族が混ざりあっていたのです。

 こうした政治的社会的な状況にあって、民族をこえて誰に対しても隣人となっていくことを説いたこのメッセージは、幾重にも大きな意味をもって迫ってくるのです。