

昨年のことです。朝の礼拝のため聖堂に行きました。すると、一人の男性が会衆席にいて、振り向いてこう尋ねました。「松浦神父、ぼくのこと判りますか?」
わたしは彼の顔をじっくりと見て、どこかで出会った顔だと思いつつ、老いぼれた私の記憶を引っ張り出しました。「ひょっとして〇〇君?」
そう応えると、彼は満面の笑みで「そうです。昨日、奈良から出てきました。覚えていてくれたんですね」と応えてくれました。
その後、彼と一緒に朝食を食べ、色々な話題に花が咲きました。彼が小学4年の時に出会ってから、もう40年以上の付き合いになります。彼は、前日からのことを話してくれました。
彼は友人と会うために高松に来たのですが、友人との夕食がキャンセルになり、昨晩は教会にでも行ってみるかと考えたそうです。
私はいつもなら、教会の聖堂を夜8時に閉めるのですが、その日に限ってうたた寝をして、聖堂を閉めたのは9時過ぎになっていました。8時過ぎに聖堂を訪れた彼は、教会の広報ポスターで私がその教会の担当者であることを初めて知り、朝6時半に礼拝があることから、翌日、私をびっくりさせてやろうと眠い目をこすりながらやって来たわけです。
彼の思考方法はとても積極的です。約束のキャンセルがあっても、神はもっと別な出会いをさせてくださると考える習慣が身についていました。
以前に奄美大島に行ったとき、飛行機が3時間も遅れ、初日に行く予定のところが、三日目になってしまったおかげで、知り合いの家のお祝いに出会えたと、私に語ってくれました。
自分で切り開く道もありますが、神がその人の、豊かさのために切り開いてくださる道もあるのですね。