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コリーン・ダルトン

今日の心の糧イメージ

 「姉は10ヶ月足らずで歩きはじめた。」
 小さな頃から繰り返し聞かされてきた話です。
 これは大抵、過去を説明するよりは、今日に至る姉のはっきりした性格を物語るためです。私について似たような話がないのは、誰にもはじめの一歩が容易(たやす)いものではないことを暗に示しているからです。

 これはもちろん、人がいつ歩きはじめるかを大げさに取り沙汰することを茶化した冗談です。実は歩く時期は人それぞれで、親は大方心配する必要はありません。それでも、私たちは歩を進めることで、人生を歩んでゆくものです。初めの一歩、次の歩み、大きな一歩、小さな一歩というように。

 人生の旅を道に(たと)える考え方は、多くの文化や宗教でなじみ深く、実際それは意味深いものです。私たちは旅人として、なだらかな道や荒れた道、広い道路や狭い小道を歩んでいきます。いずれ、たえず道の途上です。

 最近、近所の公園をめぐる冬の散歩で、空を見上げていると、枯れ木が枝を支える美しい姿に心うたれました。空に向けて優雅に湾曲した枝もあれば、捻れたり向きを変えたりするものもあります。横道に()れたり、弧を描いて下に延びたりする枝などは、はたして誤って曲がったのか、それとも考えあぐねて障害物をよけた末の遠回りなのか、よくわかりません。

 道についてイメージすると、旅人の姿を道路から除外してしまうのですが、枝はこの二つを併せ持ったイメージです。即ち枝は旅人であり、また道でもあり、穏やかな日や荒れた天気にも、光に向かって懸命に生きようとしています。

 私たちも旅にあって一つ一つ歩を進めてゆく必要があります。でも行き着くところ、それも前進するためというよりも、自分らしくなっていくためにあると考えるのです。