

隣人愛に対する私の思いの原点は、ふるさと五島の生家にある。
父母は誰に対しても寛容で、我が家にやってくる人に対し、「縁じゃけん」と言って、飲ませ、食べさせ、泊まらせるのを当たり前にしていた。
「こん地上には20億人ちいう、びっしゃり(沢山)の人がおるとに、こげんして、うちへ来る。同じちゃぶ台で御飯ば食べるっち、縁があったっちいうこと。この縁ば大事にせんばよ。これもみんな神様のおはからいじゃけんね」
刑務所から出て来たばかりの人でも差別せず、すぐに打ちとけるのだった。ましてや隣近所の人に対しては、その思いがもっと強かった。
我が家の前のY君は、お母さんがY君を産むと同時に亡くなったのでちょうど同じ頃に出産した母が、右に私の姉、左にY君を抱いてお乳を飲ませたので、「乳兄弟」(ちきょうだい)と言ってY君を我子のように可愛がっていた。
隣近所の子には、ちょうど御飯時になると、「食べて帰るか」というのが口癖であった。
裕福な家の子が、自分の家の方がはるかにおいしいものが食べられるのに、我が家のちゃぶ台に座るのを楽しみにしていた。
にぎやかに笑いさざめいて食事するのが楽しみだったのだろう。
現在、私は大阪の地で隣近所の人と仲良く暮らしている。
朝、起きて外へ出ると、我が家の塀の前に置いてある数十鉢の植木には、右はK家、左はN家の人が既に水をやってくれている。
時には前も掃いてくれている。
大阪という都会の中で、「縁じゃけん」と感謝しつつ、隣人愛をありがたくいただいている。