が、いつしか食事介助が義務のようになり、心身共に疲れを感じるようになった。
それを打開するにはどうすればいいか。
私は2、3日考え、そしていいことを思いついた。「そうや、まわり道をしてみよう」と。いつも同じ道なので、何の変化もない。
しかし、その病院へ行くには何十とうりもの道順があることに気がついた。
その日の気分によって道を変えて歩くと、新しい発見があり、楽しくなってきた。
姑のためではなく、自分のために歩いているのだと思うのだった。
30分も40分も歩くことがあったが、その途中の道で出会った人、出会った犬や猫、木々や花々など、心に残ったおみやげ話を姑にすると、外へ出られない姑は喜んで聞いてくれた。
食事介助に間に合うように早く家を出て、まわり道をするのであるが、そのまわり道が私の心身を豊かにしてくれるのだった。
母が入院していた頃の5年半の日記を最近読み返す機会があったが、多忙で時間に追われていただろうに、何とゆったりとした時間の流れが記録されていて、自分ながら驚いた。
神さまへの感謝や聖人方に対する感謝が常に書きこまれていた。
1日、何10分かのまわり道が、実は無駄ではなく、私の心をゆったりと豊かにする近道であったことに気がついたのであった。