こういう車はそっと発進するため音を立てません。視力のない私には、音がしなければ車が止まっているのか、徐行しているのかが分からないのです。ドアが閉まる音がして数秒経ち、目の前の気配がなくなったと思って一歩踏み出した瞬間、走り出した車のボディーにぶつかりました。周りから叫び声が上がり、10人以上の人が見ていたことが分かりました。見ていたならなぜ、ぶつかる前に叫んでくれなかったのか、といまでも思います。
幸い、2週間後にはピアノを弾けるほど快復しましたが、安全のためそこを通らず、線路を跨ぐ陸橋を渡って駅の反対側から入るルートをおぼえたのです。3分ほどですが、朝の遠回りは痛手でした。
ところがいざ通い始めると、陸橋の上は、とても気持ちいいのです。朝の澄んだ風がまっすぐ吹き抜けて体を包みます。セキレイの囀りに口笛で答えると返事が帰ってきます。夕方には、線路を見下ろす鉄っちゃん坊やたちの嬉しげな声や鉄道薀蓄が聞けたりします。鳩の群れを蹴散らしてしまってびっくりすることもありますが、鳩には悪いけれどそれもまた楽しいものです。
自転車に肩を掠められたり、ドキドキしながら渡れるタイミングを計って近道をいくより、障害物がまったくない陸橋を安心して歩ける回り道は、実は素敵だったのです。
人生の進路でも、回り道を選んだときの楽しさは、発想を転換することで無限に広がるのでしょう。