母の人生の教訓は「ダメなものはダメ」から始まった。どの母親でもそうだと思うが、娘の幸福な結婚を人一倍願っていた。母は敬虔なキリスト教徒として人生の後半を生きたけ...
母の人生の教訓は「ダメなものはダメ」から始まった。どの母親でもそうだと思うが、娘の幸福な結婚を人一倍願っていた。母は敬虔なキリスト教徒として人生の後半を生きたけ...
青い目の司祭が、「この地に赴任してから一度も家庭に呼ばれたことがない」と言った。私が家で話すと「それならば」と父が料理の腕をふるって、司祭を招いた。父の料理は玄...
私は30歳の時に仕事に挫折し、実家に戻るなり入院をした。そのころは歩くことも困難で、「ゼンソクと同時に1万人に1人という難病です」と言われた。入院した次の日に、...
祖父母と、父母、弟と私が同居することになった。私が小学校4年の時だ。祖母は12歳で母親に死なれ、親類に預けられ転々とした。祖母の愛読書は樋口一葉の小説1冊だけだ...
ある日の午後、父は谷川に投網をもって魚を捕りに行った。夕方、玄関にたどり着いた父はびしょぬれで、滴がポタポタとたれていた。「九死に一生を得た」という父は呆然と立...
小学1年生の時、友だちと「北山原」という殉教地に行った。今は周囲に沢山の住宅が建っているが、当時は原っぱだった。「北山原」の中央に十字架があった。十字架には両手...
弟が5歳になったころだった。父はお祭りの出店で弟に5羽のヒヨコを買い与えた。お祭りで買ったヒヨコは育たないものだが、弟が慕っている近所の男の子がヒヨコの育て方を...
母はがんを告知された8年前から、葬儀の場所、方法、着物、手紙などを入れて行李に準備していた。幸いにも2年で治り、その後5年半は祈りの生活をしていた。母の死までの...
東北の雪国ではクリスマスというと、キリスト教徒ではなくとも辛く長い冬を耐えぬく前の、光に満ちたお祭りとして人びとは楽しみにしていたように思う。私の家族もキリスト...
ストレス解消法は私にとってそれほど困難なことではない。逃げ出したいと思うような苦しいことがあっても、「マタイの福音書」5章3節から12節にあるイエスの「山上の説...