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誕生の喜び

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

今から何年も前のことだが、私は子どもたちのためのクリスマスイブのミサに与った。子どもたちは、赤ちゃんのイエスさまをどのようにお迎えするのだろうと思ったからである。私は柱の陰の目立たない席に座った。

いよいよ赤ちゃんのイエスさまをお迎えするミサが始まった。司祭はサンタクロースの親分のような感じだった。その後ろから小さな侍者が二列になってぞろぞろと入堂してきた。子どもたちの元気の良いクリスマスの歌が続き、司祭のお説教の時間になった。この日のお説教は、司祭が子どもたちに呼びかけ、子どもたちが、それにこたえるような形だった。

司祭は「赤ちゃんのイエスさまがお生まれになりました。イエスさまが生まれる前は、私たちはどのような世界に住んでいたでしょう。じゃあ、聖堂のあかりを消してくれますか」と、何人かの子どもたちに頼んだ。すると座っている子どもたちは、「まっくらだ。こわいよう!」と叫び出した。

司祭は、「イエスさまのいない世界は、まっくらです!」。この言葉に続けて、「今度は、赤ちゃんのイエスさまが、私たちのところに来てくださると、どうなるでしょう。さあ、あかりをつけてください」と、ふたたび子どもたちに頼んだ。するとさっきまでこわがっていた子どもたちは、「明るいなあ。もうこわくない」とこたえた。司祭は「赤ちゃんのイエスさまは、『光』なのです」力強く宣言した。

2~3分で、子どもたち皆が参加する司祭の説教は終わった。

子どもたちは、クリスマス・イブのミサのなかで、イエスさまは「光」であることがわかったはずだ。いつか彼らも人生の暗闇に出会ったとき、「光」であるイエスさまを思い出すのではないかと信じている。