監督は、あるシーンを嵐の中での撮影を望んだが、青空続きで、映画に関わる人たち全員が「雨待ち」となった。戦のシーンを撮るために、たくさんの馬も待機していた。彫刻家の友人のひとりは、子どもの頃から野山を馬で駆け巡っていた。時間があるので、鞍もついていない裸馬に乗り、たて髪を手綱にして、無心に野原を駆け巡った。それを見ていた黒澤監督は「あいつは誰だ? 今回の戦のシーンで使いたい」と言い、助監督が彫刻家の友人に「戦のシーンに出てみないか?」と話を持ちかけた。しかし彼は、「私は彫刻家です」と断ったのだ。
彼はなぜ断ったのだろう......、しばらく答えは出なかった。
ある時、聖書を読んでいて、イエスに向かって「十字架を降りるがいい」と祭司長たちが叫ぶところがある。イエスは十字架を降りなかった。若い彫刻家にとって彫刻が、自分の使命だったなら、大道具・小道具の仕事以外は誘惑だったと思う。黒澤監督にとっても映画が使命だったように、若い彫刻家にとっても彫刻は、使命だった。「評価する」ときに「十字架」を基準にすると、ブレないで天職を歩いていけるのだ。