私は普段、外資系の企業で翻訳の業務を担当しています。社員は毎年自分で目標を立て、自己評価を提出し、上司や同僚からも評価を受けます。その結果はボーナスや給料に直結し、まさに評価がものをいう世界です。
けれど、評価は"evaluate"の単語の通り、感情抜きで行われます。そのため、困難に直面したとき「あなたはそういうことだから」というような叱責は受けません。代わりに「どうしたら解決できると思うか」と問われます。それにしたがってプランを立てると、目標は達成されていくのです。
神様が私たちの行動を見るとき、どちらかといえば英語に近い見方ではないかと思います。失敗した私に、「どうすれば立ち直れるか」、「どうやって修復するか」を見つめるよう仕向けられることはあっても、「そんなことだから」と叱責されることはないと感じるからです。
失敗から学べる手がかりこそが、意味のある評価ではないかと思っています。