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繋がり

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

「年寄りっ子は三文安い」と言われながらも、私は小学4年生の時から、50代で心筋梗塞の発作を起こして九死に一生を得た後、ずっと寝たきりだった祖母の介護をしてきた。

祖母は2枚の写真を大切に持っていた。太平洋戦争で特攻隊として亡くなった弟の進さんの顔写真と、出征前に家の前で進さんを家族全員が見送る写真だ。進さんの顔はまだ幼さを残し、その瞳は何を見ているのだろうかと思うような写真だと記憶している。

「進さんは、太平洋上で戦艦に突入して戦死した」という手紙が進さんの父親に届いたのだそうだ。

 

私が女子大の寮に入っていたときのこと、それまでは祖母の側にいたので、私に手紙が来ることはなかったが、寮には祖母から毎週手紙が届いた。祖母の手紙を読むのは初めてだった。それは、毎回7~8枚の長い手紙だった。

手紙の中で印象に残っているのは、進さんの死を書いた手紙だった。何かとても強烈な感じを受けたが、祖母が弟を想う本心だったのだろう。

「真っ赤な夕陽が沈む頃、進は飛行機を柩として敵の軍艦に体当たりをして、海を墓場として死んだ」という内容の手紙だった。

戦争は、敵も見方も、若者や多くの人の命を奪ってしまう。

 

さて、祖母は私に、夕暮れの海に太陽が沈む写真を、帰省するときに買ってきてほしいと言った。私はポスターを探しに行った。夕暮れの海に最後の輝きを放って太陽が沈むような写真を探して、祖母に渡した。祖母はそのポスターを壁に貼り、毎日、見つめていた。なぜなのだろう?

 

今頃になって祖母の気持ちに気づいた。祖母は海で弟の進さんと繋がりたかったのだ。

海の星のマリアさまに「平和」を祈ろうと思った。