私は数年前、自分のやるべきことはすべて終えたと思った時があった。右近が帰天した年齢と近くなった時に、閃いたことがあった。私のような者が生きているよりも、もっとこれからの世の中のために働いてほしい人物がいた。私は司祭から「ゆるしの秘跡」を受け、ある人物の身代わりになって天のおん父のもとに帰りたいと言った。もう1人証人が必要かもしれないと思い、さらに別の司祭に自分は身代わりとなりたい旨を話した。手紙も両方の司祭に書いて渡した。
部屋も片付け、臓器提供の手続きもして、静かな日々を過ごした。いったい私はいつ神さまのもとに召されるのだろうと思案していた矢先に、知人より身代わりになりたいと思った人物が亡くなったという電話がきた。身代わりの夢は消えた。神さまは私には身代わりのお恵みはくださらないのだとがっかりした。私はラザロのようにおもむろに自分の心に立てた墓場から出てきた。すると、神さまから強い息を吹き込まれたように私は目覚めた。私にはしなければならないこと、書かなければならないことがある。下手でもなんでも神さまが望まれるなら、道化のようであっても生きぬいていかなければならない。
私は今、右近が病没した年齢、64歳になった。孤独の誘惑は強い。だからこそ、世界中の孤独な人びとにイエスの愛の波動を伝えるために生きなければならないのだ。