私はヨハネ・パウロ二世が、チャペルの後方の入口から輝かしいお姿で入堂なさると思いこんでいた。ふと祭壇のほうを見ると白い石のようなものが見えた。「えっ、もしかしてあのうずくまっていらっしゃるお方が教皇さま?」と思った。白いガーゼの赤ん坊の産着のようなものを着て、お祈りをしていらっしゃったのだ。1人の司祭が教皇さまを支えて起こし、2人のシスターが祭服を着せ始めた。湾曲した背中、ようやく支えられて立ち上がるお姿を見た。
教皇さまは自分が老いていること、病気であることをありのままに、さらけ出していた。私は、教皇さまがチャペルの入り口から権威あるお姿で入っていらっしゃると思っていたことを、恥ずかしく思った。教皇さまはアイドルでもなく、スターでもない。イエス・キリストの真の代理者なのだと痛感した。
私も年を重ねていく途上で、主イエスがペトロに「年をとると、他の人に帯をしめられ、行きたくないところに連れて行かれる」と言われた言葉で、恐れおののくこともある。(参:ヨハネ21・18)
ヨハネ・パウロ二世のお姿を見てからは、祈りによって神さまから力をいただいて起き上がり、命のある限り、私に与えられたみ旨を果たそうと決心した。