今は年を重ねた自分。年を取ると、子どもたちから元気をいただく、とよくいう。ということは、「年を重ねる」とは元気がなくなるということなのか。確かに肉体的な元気さは子どもたちにはかなわない。しかし、この年まで生きてきた「元気さ」はその人にしかわからない。そして、その人の貴重な財産であることも確かである。
要は、この年まで培ってきた「生きる」というその人の財産を、「わたし」の財産としてだけではなく、若い世代にいかに見せ、語り継いで「わたしたち」の財産としていくか、年を取った人の、さらなる「元気さ」ではないかと思う。
子どもの元気は、今から始まる人生という旅路のスタートダッシュのために必要な「元気」なのだ。エネルギーである。そして、楽しい一歩一歩を踏みしめていく。周りの「年を重ねた」人の歩みを確かめつつ・・。
こうして、若い彼らも心身の新陳代謝を繰り返しながら、新たな「年輪」を記していく。
園児から児童へ、生徒へと・・。彼らもまた、年を重ねていく。先人たちが築いた財産を土台にして。
ここに神の計画を感じる。本来の人のいのちの温かい繋がりを。この気づきを糧にさらに「年を重ねて」みたい。