思い返してみると、わたしは独身ながら、時々、何らかの形でおかあさんの心をもって接していかなければならない出来事に遭遇してきた。わたしは母親のもつ、「わが子」「うちの子」という、悪く言えばべっとりとした身びいき的な感覚は持っていない。独身だから、生きていく上での判断、決断は自分でしなければならない。だからこそ、出会った子どもたちに何が必要で、どうしなければならないかを、瞬時に判断できることが多い。私にできることは身を投げだして関わってきたつもりだ。
また、わたしの仕事のひとつだが、子どもたちのための週刊誌の編集作業に携わっている。子どもたちに直接に会うことはなくても、かれらの止まり木となり、一休みをして明日に向かって飛んでいけるようなメッセージを送っている。同時にその中で、子どもたちと関わる、若者からお年を召した方々にも、心の渇きをいやすメッセージを発信している。
マリアさまにならって、日々、わたしなりに、いつくしみのムーブメントを起こす、透明人間のように見えない「あなたたちの『おかあさん』」になりたいと願っている。