今日は聖書に出てくる放蕩息子の譬えの登場人物に、私たちが懐く親近感について考えてみましょう。(ルカ15章) ある人に二人の息子がいました。弟が父親に財産の分...
今日は聖書に出てくる放蕩息子の譬えの登場人物に、私たちが懐く親近感について考えてみましょう。(ルカ15章) ある人に二人の息子がいました。弟が父親に財産の分...
彼岸になると花をもって、私は母の墓をたずねます。墓に水をかけ、花をそなえ、手を合わせーーそうした訪問をやりはじめてからもういく年になるでしょう。 墓參りがす...
寒い時には余りないのですが、夜、布団に入ってから、あっしまった、今日も水あげてない、と気付くことがあります。庭の植木や鉢植にです一昨日夜帰宅した時、水を欲しそ...
典礼聖歌集の聖歌にもなっていますが、詩編42編に次のような言葉があります。 「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神...
森の散歩は私の心を鎮めてくれます。いつもの散歩コースなのですが、古くからある神社の長い階段を昇り詰める頃は喉が渇いてきます。しかし、その風景は荒ぶれた私の心に...
今月のテーマは「渇き」。この漢字を恥ずかしながら私は知らなかったので広辞苑で調べた。「水分がなくなる乾き」の次に「食っても食っても食い足りぬ気持ちのする病気」...
「教会に来るとホッとする」。私が幼い頃、聖堂で母はよくそう言った。「ママは外ではあまりホッと出来ないのかな」と思い、「教会に入るとすぐに神さまを感じるんだな」...
私は床につく前に、毎夜必ず枕許に、麦茶を入れたマグカップを置く。 夜中に喉が渇いて、よく目が覚めるからである。 夜中、麦茶をおいしく飲みながら、いろいろの...
皆さんも日常の生活の中で、汗水を垂らすほど、働いたことや運動したことがあるでしょう。すると水分が不足して渇きを覚えます。 私は旧制中学の時、陸上競技部に入っ...
コロナ禍でのマスク着用生活も早や3年以上。マスクをしていると知らないうちに唇が乾いて喉もがさがさして渇きを覚えます。そこで携帯用の小さな水筒をバッグに忍ばせて...
「谷川の水をもとめて、喘ぎさまよう鹿のように 神よ、私はあなたを慕う。」(典礼聖歌)・(参 詩篇42・2) 荒涼とした砂漠や岩場で鹿が水を求めて喘ぎ彷徨うよ...
フランシスコ教皇様は、昨年10月の一般謁見の折に、次の話をされました。 ベトザタの池で数十年も水に入るのを待っていた病人に、イエス様が「良くなりたいか」と問...
「渇き」で連想されるものと言えば、「砂漠」であり、砂漠に欠乏している「水分」であり、また、反対語の「潤い」ではないでしょうか。 砂漠には水分はなく、「緑」も...
私が神父になってしばらくしたとき、東京の修道院から姫路の方の小さな教会へ転勤となりました。私にとって、初めての一人担当なので、だんだんと心配し始めました。 ...
人間の身体の3分の2は水です。身体から水分がなくなると、人間はカラカラになって生きていかれません。 心にも水分があるだろうと思います。それは、「祈り」かなと...
2021年、91歳の生涯を終え帰天されたドイツ人のカトリック司祭ウァルデマール・キッペス師。 65年以上前に初めて来日して以来、生涯に渡り日本におけるパスト...