今月のテーマは「渇き」。この漢字を恥ずかしながら私は知らなかったので広辞苑で調べた。「水分がなくなる乾き」の次に「食っても食っても食い足りぬ気持ちのする病気」として「渇き病」があった。
聖書の次の言葉が心に浮かんだ。
「人はパンだけで生きるにあらず 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4・4)
パンは食べ物の総称で生きるために必要だ。それ以上に魂の栄養も必要である。神はご自身の似姿として人間を創られ、一人一人に独自の才能を与え、その生涯を見守り導かれている。
神を敬い、感謝して謙虚に生きる人は、神と共に永遠に生きる天国の幸せを約束されている。
しかしこの世の富や権力を得て、神を畏れず、己の欲望を満たすためだけに生きる人の魂は益々飢え渇き、まさに「渇き病」の人である。
さて、米寿を迎えた私は、朝食前の一時間余り、祈りと体操が日課となった。コロナ禍の巣籠り逆効果でイエス様がぐーんと近くなり、この朝の一刻がとても楽しい。
聖パウロの次の聖句を歌ってイエス様に捧げたりしている。
【いつも喜んでいなさい 絶えず祈りなさい どんなことにも感謝しなさい】(1テサロニケ5・16~18)
神は「人類を救う究極のご計画」により、御子イエスをこの世に賜った。イエス様はご自分を無にして十字架の磔刑でその使命を果たし、復活していつも共にいて助けてくださっている。
私たちは皆、これほどにまで神に無条件に愛されている。このことを知るならば、いつも喜んで生きられるのではないか。
イエス様に祈ると、神の力が働いて全ての事に感謝する心に変えられる。喜びと平安を実感出来る。魂が渇いたらイエス様に祈ろう。無償の愛と光で魂を潤していただこう!