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渇き

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 「教会に来るとホッとする」。私が幼い頃、聖堂で母はよくそう言った。「ママは外ではあまりホッと出来ないのかな」と思い、「教会に入るとすぐに神さまを感じるんだな」とも思った。

 今は母の気持ちがよくわかる。父も仕事をしていたが、母より18歳も年上だったので、まるでシングルマザーのように、仕事と家庭の両方を切り盛りしていたからだ。一家を支えるために働き、仕事が終わると両手にたくさんの食品を買って帰ってきた。恋愛結婚だったが、母の負担は大きかった。

 妹と私が高校に入ると「ちょっとひと休みね」と言って夏休みに一人でヨーロッパに出かけた。私たちが20歳を過ぎると「私が交通事故で死んでも、今はもうあなたたちは生きていけるから」と言って、急に車を買って運転を始めた。

 母は、若い時に日本と韓国で2回も戦争を体験し、大変な苦労をしたためか、合理的な考え方をする。好奇心が旺盛で、思い立ったらすぐに旅に出たいタイプ。それに、おしゃれも大好きだった。一見、楽しい事だけを求めて生きているように見えたが、心の中にはいつも「神への渇き」があった。毎朝、起きるとすぐに1時間の祈りをして一日をスタートし、いつも神さまに頼っていた。

 70代、80代になると、祈りが実を結び、かつての教え子や、退職後に始めた韓国語のクラスから少しずつ洗礼を受ける人が出てきた。何度かあった洗礼式にはドレスアップして、満面の笑みを浮かべた写真がある。

 昨年の冬、母が亡くなる前日に、私たちは病室でロザリオを祈った。「一緒に祈るといいね。これ以上の喜びはないよ」。そう言って嬉しそうに微笑んでくれたのが忘れられない。