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渇き

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 コロナ禍でのマスク着用生活も早や3年以上。マスクをしていると知らないうちに唇が乾いて喉もがさがさして渇きを覚えます。そこで携帯用の小さな水筒をバッグに忍ばせて外出することが習慣になりました。

 マラソンコースには必ず給水場所が設営されています。選手はこの給水によってコンディションを立て直し全コースを走り切ることが出来ます。人間にとって渇ききった喉を潤すコップ一杯の水は、生死に関わるめぐみと言えます。

 ところでキリストの死については新約聖書の四福音書それぞれに記載がありますが、ヨハネだけが、「イエスは、すべてのことを今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。」と、最後に海綿に含ませた酸っぱい葡萄酒を口にされる前に「渇く」と言われた事実を書き留めています。(19・28)

 また「かわく」という漢字には二通りの字があります。乾燥の乾は単純にものの水気が蒸発し水分がなくなることで、もう一つの、聖書にある「渇く」は喉がかわくことであり、比喩的な表現として、心が満たされず潤いを求めているということも表します。

 一方、これまで地割れといえば巨大地震の結果と思っていましたが、近年はケニアを始めアフリカや南米各地で渇水のため干上がった大地が無残に無数の裂け目をさらしている映像を目にします。明らかに地球温暖化の結果です。

 コロナ禍の喉の渇きといい、地球温暖化による大地の乾きといい、神様が人間社会に対し大きな反省を求めていらっしゃる結果のように感じます。ノアの箱舟、バベルの塔、歴史に残るパンデミックや戦争や自然災害、今こそ謙遜になり神の水を求め祈りましょう。