悔い改める

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

今でも決して理想的な体型ではないのですが、今から20年ほど前、血液検査をしてもらい、その結果を聞きに病院へ出かけた時、お医者さんから、「神父さん、これは、くい改めてもらわないといけないですね」と言われてしまいました。身長と比べて体重が多すぎるうえに、それに伴う様々な兆候が現れていて、食生活の改善と運動を強く勧められたわけです。

教会で「悔い改め」を説く神父である私が、お医者さんから食事の「食い改め」を宣告されてしまい、思わず苦笑いしてしまいました。

食生活はさておき、私は日々、「悔い改め」ているだろうかと、このエピソードを思い出した時、考え込んでしまいました。もしかすると、神さまがいつくしみ深く、どこまでもゆるされることに、ついついあぐらをかいていないだろうか、と反省させられました。

自分自身の考え方や習慣、行動パターンを変えていくことは、なかなか難しいことです。しかしながら、これらにゆがみがあることを認め、日々、新しい自分に変わっていくことは、信仰生活の一つのあり方だと思います。

まずは、自分自身のあり方をじっくりと見つめなおし、そこにゆがみや傷を発見すること。そして、これらとしっかり向き合うことが大切なのでしょう。

そして、自分中心に凝り固まったあり方から、周りの人たちや神さまに目を向けていく時、悔い改めは実りをもたらすのでしょう。

つまり、「悔い改め」は自分自身だけで完結するものではなく、周りの人々や神さまに自らの存在を分かち合っていくことにつながっていくのだと思います。

結果的に、周りの人に自分をさし出す「ゆとり」と「しなやかさを「悔い改め」はもたらし、本来の自分自身を取り戻すのです。

悔い改める

小林 陽子

今日の心の糧イメージ

「後悔先に立たず」などの諺がありますけれど、誰でもこの人生で、「あー、あのときあんなこと言わなければよかった」とか、「どうしてあんなことしてしまったのかなあ」と悔やむことがひとつやふたつはありますよね。

思い出せばタイムスリップしてぎゃっと叫び出しそう。なんて自分中心なんだろう、なんて思いやりに欠けていたんだろう・・・などなど。自己嫌悪と、自分への腹立ちで身の置き所もなくなります。

「アナタたちは、イエス様がおゆるしになれないほどの罪を犯すことはできないんですよ」

これは、ドイツからいらしたある神父様がいつもおっしゃっていたことです。マシュマロみたいなふわふわの白髪がお顔をつつんでキラキラとかがやき、弾けるようなとっておきの笑顔。とっても小柄で可愛らしい神父様。

この情熱的な神父様は、こうおっしゃるときには決まってピョーンと飛び上がって祭壇をかけ降りてみんなの間に立ち、「いいですか、わたし達は神様がゆるせないほどの罪を犯すことなんてできないんですよッ!」と叫ばれるのです。

神様は、それほど限りなくわたし達を愛してくださって、限りなく罪をゆるしてくださる方ということですね。

イエス様はそのご生涯での宣教を「悔い改めよ。神の国は近づいた」の宣言で始められました。

悔い改めて、悔い改めて、なんどでも、なんどでも、ゆるされる・・・。

これぞ福音! よろこびの音信とはこのことだと、あらためて「福音」という言葉をリアルに実感しました。

この神父様の「ジャンプ付きの」ミサのお説教のなかで。


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