イエスは弟子たちと最後の夕食をとっていましたが、突然立ち上がって腰にタオルをつけ、弟子たちの足を洗い始めました。皆は驚きましたが、彼らへの愛があふれて流れ出したのです。「何かしてあげたい」という思いがヨハネ福音書にはこう書かれています。
「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛してこの上なく愛し抜かれた」。(13・1)
イエスの愛は、ご自分を裏切り、わずかな銀貨で売り渡そうとしていたユダにも向けられていました。イエスはユダの足も洗ったのです。
数時間後には兵士がやってきてイエスを捕らえるでしょう。そしてほとんどの弟子は逃げてしまい、ペトロでさえ「あの人を知らない」と3度も言うのです。
翌日、私たちの主は、人間の罪を償うために鉄の珠のついたムチで打たれ、鋭いトゲの茨のついた冠を頭に押し当てられ、裸にされて十字架上で残酷に処刑されます。
何もかもご存じの上でイエスは弟子たちを愛します。この清らかな輝くお心を思うと、かたじけない、という思いと深くしみじみとした感動がわき起こります。そしてイエスのお望みに応え、イエスをお喜ばせしたいと思います。
これが悔い改める気持ちになるのです。