ここで講師が仰っていたことは、余裕のない状態、つまり「欠乏の状態に陥れば、人は不合理な選択をする可能性がある」と言う事でした。確かに、心に余裕のない時、私達は理性的に振る舞えないことが多いようです。他者からの介入、それが神様からの介入であっても、拒否してしまう可能性があります。
聖書の中に、イエス様に代わって十字架を担った人としてキレネ人のシモンと言う人が登場します。『十字架の道行』という祈りの中で、彼はこの時、「死刑にされる囚人を助けるのは屈辱と感じた」と書かれています。続けて、「心ならずもイエスと一緒に群衆の嘲りの的となったシモンは、後に教会の一員となりました」と書かれ、続く祈りの中で、「主イエス・キリスト、あなたは私達の予期しない出来事を通しても、救いの恵みをお与えになります」と書かれています。
予期しない出来事をも受け入れる為、心の余裕を願いたいと思います。