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悔い改める

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

キリスト教の出発点に、一つの悔い改めがある。それは、イエス・キリストの弟子たちの悔い改めだ。

イエスが捕縛され、十字架で処刑されたとき、弟子たちはイエスを置いて逃げるという罪を犯した。イエスが、弟子たちを恨んだとしても当然だっただろう。ところが、イエスは、弟子たちのしたことをあっさりゆるした。復活して弟子たちの前に現れ、まるで何事もなかったかのように、「あなたがたに平和があるように」と弟子たちに話しかけたのだ。(ルカ24・36)

罪がゆるされたことを知った弟子たちの喜びは、一体どれほどだったろう。「これほどまでに自分たちを愛してくれるイエスを、2度と裏切るまい」と弟子たちは心の中で誓ったに違いない。この出来事の後、しばらくして弟子たちは世界への布教活動を始めた。厳しい迫害を受けても、今度は逃げなかった。皆、イエスへの愛を守り、殉教していったのである。弟子たちの悔い改めから、キリスト教が始まったと言っていいだろう。

 

このような悔い改めは、わたしが宗教講話のために通っている刑務所でも見られる。受刑者たちは、自分が迷惑をかけた家族から手紙を受取り、家族が自分を待っていてくれることを知ったとき、「2度と家族を悲しませるようなことはすまい」と決意する。更生の機会を与えられ、刑務官たちから親身な指導を受ける中で、「2度と社会に迷惑をかけるようなことはすまい」と決意する。

「これほどまでに自分を愛してくれる人たちを悲しませるようなことは、2度とすまい」と誓う決意こそ、悔い改めの原動力だ。人間は、愛の中で生まれ変わると言っていいだろう。神様の愛、家族や友人たちの愛をしっかり胸に刻むことから、新しい生活を始めたい。